ブランデンブルク協奏曲の新盤に寄せて
――オリジナル楽器によるバッハの演奏――
(「季刊GRC」第9号[1978年3月発行]所収)

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■ネーデルラントにおけるバロック音楽演奏の発展と現状
 さて、次に、ネーデルラント及びその他の国々に於る、バロック音楽の現状について簡単に触れておきたい。

 ヨーロッパに於るバロック音楽の積極的な研究が始まってから、既に一世紀が経過しようとしている。その中で、近年、音楽学的な研究の成果と実践面との結びつきで、注目さるべき業績をあげて来たのは、.特にイギリス、スイス、オランダ、アメリカの音楽家達であろう。殊に先に述べて来たように、バロック音楽の演奏に於て、演奏者自身の感覚の転換が必要であることを考えるならば、十九世紀ロマン派音楽以来の伝統の重圧が比較的弱いこれらの国々で、新しい運動が大きく広がりつつあることは、十分に頷けることである。反面、ドイツやオーストリア、フランスにとっては、十九世紀は余りにも偉大な栄光の時代であった。そういう処ほど新しい感覚のものは受け容れられにくく、これらの国々で新しい運動を進めようとしている人々は、多くの障碍に直面しているようである。

 オランダは、戦後いちはやく福祉国家への転換を遂げた。それに伴って、この国の一般大衆の生活感覚・理念、社会観、人生観等も大きく変貌することを余儀なくされたであろう。そして、それと共に、この国の政府は、現代芸術――前衛的な美術や現代音楽に対して大きな保護を与え、これらの発展をバックアップして来た。こうした背景は、我々の主たる関心事である「オリジナル楽器によるバロック音楽の演奏」の発展と決して無関係ではあり得ない。とは言え、1960年代の終わり頃までは、この新しい運動もやはり、レオンハルトやブリュッヘン等極く限られた天才達によって指導されている活動の域を出なかった。

 チェリストのアンナー・ベイルスマからこんな話を聞く機会があった。

 「1958年だったかな、私はその頃、オランダ室内管弦楽団でチェロを弾いていた(註=オランダ室内管弦楽団は、国際的に有名な、国営の室内オーケストラで、コンサート・マスター兼指揮者は、戦前、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの下で、ベルリン・フィルのコンサートマスターを務めていたことのあるシモン・ゴールトベルク。バロックの協奏曲等を主なレパートリーとしており、来日したこともある)。ある時、ゴールトベルクのソロでブランデンブルク協奏曲の第4番をやることになったのだが、ゴールトベルクが『此頃はリコーダーという昔の笛を演奏する人達がいるんだが、この曲のフルート・パートは、もともとそのリコーダーという楽器でやったのだそうだ』と言って、二人のりコーダー吹きを連れて来たんだ。その一人がブリュッヘンだったのさ。そこで一度リハーサルをやったんだが、『何だ、この古楽器はひどく音が小さくて、これじゃあまるで使い物にはならんじゃないか』ということになって――誰も異論をさしはさむ者はいなかった。それで、リコーダーの人達は、気の毒だったが、その一回きりで帰ってもらったんだよ」。

 その2、3年後、クワドロ・アムステルダムが結成された。メンバーは、次の通りである。

  • フランス・ブリュッヘン フルート/リコーダー
  • ヤープ・シュレーダー ヴァイオリン
  • アンナー・ベイルスマ チェロ
  • グスタフ・レオンハルト チェンバロ
 この合奏団は、以後十年間に亘って活動を続け、バロックの室内楽の普及という面で大きな業績を残した。

 やがて、60年代の後半になると、レオンハルトやブリュッヘン等の打ち出したオリジナル楽器ならではの演奏様式の姿が明確なものとなって来る。

 レオンハルトの指揮によるレオンハルト合奏団、アルノンクールのヴィーン・コンセントゥス・ムジクス等の活動も次第に定着しはじめ、またバロックの協奏曲やバッハのカンタータ等、規模の大きいものに参加することでレオンハルトやブリュッヘンの影響を受けた演奏家も増え、また彼等の指導を受けた後進達が一人立ちしはじめる。勿論、一般による支持も増大した。

 こうして、オランダのバロック界は、70年代に入ると全く別の局面を迎える。

 ハーグにある王立音楽院が大規模な古楽器科を設立、バロック・ヴァイオリンのシギスヴァルト・クイケン、ヴィオラ・ダ・ガンバのヴィーラント・クイケン、オーボエのブルース・ヘインズ、チェンバロのボブ・ファン・アスベレン、リュートの佐藤豊彦らが講師に迎えられ、アムステルダムの音楽院には、リコーダーのケース・ブッケ、ヴァルター・ファン・ハウヴェ、ヴァイオリンのルーシー・ファン・ダール、オーボエのクー・エビンゲ、チェンバロのトン・コープマンといった顔触れが揃って、バロック楽器のスペシャリストをどんどん養成してゆく。

 一般には、従来からの愛好家に加えて、「クラシックは退屈だがバロックなら」という新しい若いファン層が増大し、最近のバロックの演奏会の客席は、ブルージーンズでその殆どが埋められる。

 オランダ・フェスティヴァルなど、国を挙げての催しにも、とりあげられるバロック音楽の演奏は、殆どオリジナル楽器によるものばかりとなって、最近では、「バロック音楽は、バロック楽器で」という考え方が定着してしまったように見える。若い気鋭の、通常の楽器の奏者達が、「独奏会でバロックをとりあげると批評家に叩かれるので恐い」という感想を洩らすほどの情勢である。

 トン・コープマンという逸材がいる。日本ではしコードが出ていないので殆ど知られていないが、レオンハルト門下きっての俊秀で、オルガン、チェンバロの何れに於ても、ヨーロッパ各地で今や決定的な評価を受けつつある。このコープマンが、ムジカ・アンティカ・アムステルダムというバロック楽器ばかりの室内管弦楽団を結成(コンサート・マスターはマリー・レオンハルト)、数年前に活動しはじめ、同種の楽団の中では、演奏回数・内容の両面で、今やオランダ随一の実績を持ったものとして、自他共に認めるところとなった。政府も、この楽団にはかなりの援助を与えている。

 その反面、先に述べたオランダ室内管弦楽団は、最近では余りバロックのプログラムをとりあげなくなり、古典派や、ロマン派の小編成のものに専ら精力を傾注しているが、最近ではこの楽団の存在意義そのものが疑われはじめ、政府部内でも、この存続を疑問として援助停止を主張する強硬意見が少なくないため、正に楽団存亡の危機に直面している。

 こうして、オリジナル楽器によるバロック演奏は、単に個人の行き方の問題を離れ、最早一つの新しい伝統として定着したわけだが、それと同時に、この新しい運動もはっきり多様化の様相を呈して来た。

 一つは、演奏の対象が、従来「バロック期」の作品が殆どであったのに対し、それ以後のものも積極的にとりあげられるようになって来たことである。ヤープ・シュレーダーやフランス・フェスターは、前古典派や古典派の作品に寧ろ強い関心を示し、シュレーダーのエステルハーツィ四重奏団は、ボッケリーニ、モーツァルト等に於て高い評価を受けている。また、アンナー・ベイルスマは、「アンサンブル・アンナー・ベイルスマ」というグループを作って、初期ロマン派の作品を当時の楽器で演奏することに大きな意欲を燃やしている。レオンハルトは、モーツァルトのピアノ・ソナタをフォルテピアノで録音したが、近い将来、モーツァルトのピアノ五重奏曲を録音するというプランもある。クイケンらもまた、最近セオン・レーベルで出たボッケリーニの五重奏曲に見られるように、古典派の弦楽合奏曲に対しても意欲的である。

 また、従来、オペラやカンタータ等大編成のものに於るイニシアティヴを執るのは、殆どレオンハルト、ブリュッヘン、アルノンクールに限られていたが、最近では、その他に、アラン・カーティス、トン・コープマン、シギスヴァルト・クイケン、ヨス・ファン・インマゼール等指揮者も増え、特にコープマン、インマゼール、バルト・クイケン等の若手が、レオンハルト、ブリュッヘン等の大先輩の業績に尚多くを負いながらも、演奏解釈、楽器の秦法等に於て、各々個性に溢れた独自の新境地を開拓しつつある。

 バロック音楽の演奏に於る新しい運動は、他の国々でも広がりつつある。

 スイスでは、かつて、ヴィオラ・ダ・ガンバのアウグスト・ヴェンツィンガーらが、バーゼルのスコラ・カントルムを中心に、新しいバロック演奏への先鞭をつけた。レオンハルト等も若い頃、バーゼルで学び、彼等の業績に多くを負った。その後、レオンハルト等が、新しい運動の最前線を担ったわけだが、近年バーゼルでも、ヴェンツィンガーらの老大家を退けてガンバのジョルディ・サヴァル等、新しい感覚を持った若手達によって若返りを計っている。

 イギリスは、その昔、ドルメッチ、ドニングトンらの理論家を輩出した割に、演奏面では冴えなかったのだが、何と言ってもこの国では、従来から楽器研究が極めて盛んであり、近年オリジナル楽器の優秀な奏者も増えつつある。それに何しろ、アルフレッド・デラー、ポール・エスウッド、ナイジェル・ロジャース等、バロック歌手の産地としては他の追随を許さない。

 アメリカでは、レオンハルト、ブリュッヘンの影響が極めて大きく、その後を追う若い留学生の波がオランダへ押し寄せ、帰国した彼等の地道な活動は、着実な成果を修めつつある。フランスでも、漸くオリジナル楽器によるバロック演奏は勃興しつつあるようだ。

 このように、オリジナル楽器を用いたバロック音楽の演奏は、今や世界的な潮流となって欧米諸国の間に普及しつつあるのである。そしてその面で最も立ち遅れているのが、バロック音楽の発生の地であったイタリアであるとは、歴史の皮肉であろうか。

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