クラヴィコード

■名称の各国語対照表

ラテン:clavicordium
イタリア:clavicordo, manicordo
フランス:clavicorde, manicorde, manicordion
スペイン:manicordio, monacordio, clavicordio [*]
ドイツ:Clavichord, Klavichord
オランダ:klavichord
英米:clavichord

【註】スペインにおけるclavicordioは、歴史的にはチェンバロの総称であり、クラヴィコードに対しては用いられなかった。しかし、現代においては、クラヴィコードに対しても用いられる。

■クラヴィコードの発音原理

 鍵盤のうしろの方に立てられた真鍮のタンジェント(マイナス・ドライバーの先のような形状)が、弦を打って音を出す。弦の低音側には消音用のリボン(ダンパー)が巻いてあるが、タンジェントが弦を打つと弦が少し持ち上げられ、弦のタンジェントとブリッジの間の部分が振動する。従って鍵盤を戻すとタンジェントが下がって弦の振動が止まるのである(拙著『チェンバロ・フォルテピアノ』を参照されたい)。

□タンジェントのはたらき(2つの機能)

 クラヴィコードのタンジェントには、弦を打って振動させるという発音機能の他に、音程を作る、という重要な機能がある。タンジェントは、弦を押し上げることによって、弦を、振動する部分と振動しない部分の2つに分けるのである。これは、チェンバロのプレクトルムやピアノのハンマーが、予め音程の作られている弦をはじいたり叩いたり音を出すのと、決定的に異なる点である(チェンバロやピアノでは、ナットピンとブリッジピンによって、振動する弦の長さが既に決定されている)。従って、同じ弦でも、異なるポイントをタンジェントで打てば、音程(ピッチ)の異なる音になる。

□モノコードの応用

 クラヴィコードは、上記の名称対照表からも明らかなように、モノコードから発達した(monacordo, manicordio等々の名称はmonochordと語源を同じくしている)。もっと端的に言えば、初期のクラヴィコードは、鍵盤付きモノコードに他ならない。モノコードは、一本の弦をいろいろなところで押さえあるいは区切ることによって音程を変える、楽器というよりは一種の実験器具であったが、クラヴィコードに発展することによって、大きな表現力をもつ楽器となった。

□クラヴィコードの分類(3つのタイプ)

 クラヴィコードは、このようなタンジェントの機能のために、1本(実際には1対)の弦を複数のキー(鍵)で共用することが出来る。こうした弦の共用関係によって、歴史的なクラヴィコードは3つのタイプに大別される。
  1. フレット式クラヴィコード(fretted[英]、gebunnden[独])
     古いタイプのクラヴィコードで、中音域以上で、一対の弦を2つまたは3つの音で共用する。楽器によっては、4つの音で1対の弦を共用するものもある。このタイプのクラヴィコードは、規格が統一されていないので、実際に当該の楽器を検分しない限り、どの曲が演奏可能でどの曲が不可能かを知ることが出来ない。このタイプの楽器は、18世紀担っても製作され続けたが、18世紀のレパートリーには、このタイプのクラヴィコードでは引けないもの、極端に弾きにくいものなどが多数ある。

  2. ダイアトニック・フレットフリー式クラヴィコード(diatonic fret-free[英])
     ナチュラル・キー(ピアノの白鍵)相互間に弦の共用関係のないタイプ――従って、このタイプのクラヴィコードでは、1オクターヴの音域に対して7対の弦が張られている。シャープ音、フラット音は、隣接するナチュラル音と次のような共用関係になったものが多い(C/C# - D - E/E♭- F/F# - G/G# - A - B♭/B)が、D/D# - Eというものもまれにはある。このタイプは17世紀後半に登場し、バッハの作品のように対位法的なものには不向きだが、古典派の音楽のように和声的に明快なものには適しており、18世紀後半には見直されて、18世紀の間じゅう作り続けられた。C・P・E・バッハの愛用したジルバーマンのクラヴィコードもこのタイプであったと言われる。

  3. フレットフリー式クラヴィコード(fret-freeまたはunfretted[英]、bundfrei[独])
     1つずつの音に対して専用の弦が張られた最も後期の大型のタイプ。現存する最古の楽器は1716年に製作されたものだが、フランスのオルガニストの所有楽器の目録からは、既に1700年頃にはこのタイプが存在したことが知られる。1740年頃には一般的なタイプとして広く普及した。弦が多いため響板にかかる圧力が大きくなり、そのために、ダイアトニック・フレットフリー式が見直された。ハンブルクのハス一族やザクセンやアルザスのジルバーマン、フリーデリーツィなど製作した優れた楽器が残っている。

□ベーブング(クラヴィコードにおけるヴィブラート奏法)

クラヴィコードは、ヴィブラートを書けることの出来る唯一の鍵盤楽器である。タンジェントが弦を打った後、鍵盤を上下の方向に細かく揺らすと、その動きに合わせて弦も上下に動き張力に細かい変化が起きるので、それにつれて音程も微妙に変化する。即ち上向きのヴィブラートがかかる。これを「ベーブング」というのである。

□クラヴィコードいろいろ

  • フィレンツェのクリストフォリによるスピネット型クラヴィコード(1719年)
     通常、クラヴィコードはヴァージナル型(チェンバロの形状分類の項、参照)であるが、クリストフォリは、スピネット型で不連続の短いブリッジを多数、響板上に配した変わり種のクラヴィコードを残している。

  • ジルバーマンのチェンバル・ダムール
    ゴットフリート・ジルバーマンGottfrid Silbermannによって1720年頃に発明されたクラヴィコードの一種。通常の2倍の長さをもつ弦の中央をタンジェントが打ち、弦はタンジェントの両側で振動して2つある響板に振動が伝えられるので、通常のクラヴィコードとチェンバロの中間の音量が得られる。

  • パンタロン・ストップPantalon stop(ピアノのダンパー・ペダルに相当)
    18世紀後半のフレットフリー式クラヴィコードに散見される手動式ストップで、キーを放しても弦の振動を持続させるもの。ダンパーのないパンタロン(パンタレオン)をまねて、同様の効果を得ようと工夫されたものである。これを作動させる時には、タンジェントによく似た真鍮の刃をタンジェントのすぐ脇に出す。タンジェントが弦を打った後、キーを放しても、弦はこれによって持ち上げられたままの状態を維持するので振動は止められない。しかし、弦の振動部分の長さが若干変わるため音程の変化は避けられず、特に弦長の短い高音部ほどその変化は大きなものとなる。

■クラヴィコード小史

 「クラヴィコードはひじょうに単純な楽器である。・・・・・音もひじょうに弱く、音色と強さの点では楽器中もっとも繊細なものよりも、むしろ蜂の飛ぶ音に比べた方がよいほどである。しかしこの楽器には魂がある・・・・・あるように思えるというべきか。才能ある奏者の指にかかると、それは忠実な鏡のごとく奏者の感情の陰影を写し出してくれる。その音には生命があり、声が感動で揺らぐがごとくにふくらんだり震えたりする。・・・・・」(アーノルド・ドルメッチ著『17−18世紀の演奏解釈』1916より)
 クラヴィコードは、音量こそ小さいが、打鍵の強さを変えることによって、確実に音量を変化させることが出来る。また、ヴィブラートをかけることの出来る唯一の鍵盤楽器でもある。
あらゆる鍵盤楽器の中で、微妙なニュアンスと色彩の変化に富み、表情豊かな(カンタービレな)演奏を可能にするという点で、クラヴィコードに比肩するものはない。ドイツ・バロックの代表的な作曲家で理論家でもあったマッテゾンは、1710年頃、クラヴィコードについて「人の声に最も近い表現の出来る楽器」であると述べている。この楽器がにわかに音楽史の前面に躍り出たのは18世紀の後半であった。
 18世紀も4半世紀を過ぎる頃から、ドイツでは音域の拡張された大型のクラヴィコードが盛んに作られるようになり、バッハの息子たち、なかんずく長男のヴィルヘルム・フリーデマンと次男のカール・フィリップ・エマヌエルらによって、クラヴィコードのための独奏曲が多数書かれた。18世紀後半のドイツは、鍵盤音楽に関する限り、「クラヴィコードの時代」と言ってもよい。ハイドンのクラヴィーア・ソナタの大半はクラヴィコードによって最もよくその音楽的特性を発揮する。C・P・E・バッハは、その著書『正しいクラヴィーア奏法試論』(1753)の中で「よいクラヴィコードは、音が弱いと言うことを除いては、音の美しさではピアノフォルテには劣らないし、ベーブングやポルタートをつけることができる点でピアノフォルテよりもすぐれている。したがって鍵盤楽器奏者の能力を最も正確に判断出来るのは、このクラヴィコードである。」と述べている。また、1789年に『クラヴィーア教本』を著したダニエル・ゴットロープ・テュルクは、その冒頭で、チェンバロやフォルテピアノをはじめ「クラヴィーア」という概念を適用することの出来る各種の鍵盤楽器を列挙した後で、「しかし本物のクラヴィーアとは、クラヴィコードのことである」と述べている。
 16世紀に作られたクラヴィコードにはかなり開放的な響きをもつ楽器もあるが、一般には音量は極めて小さく、公開演奏には適さない。しかしその欠点が、正に練習楽器としての強みにもなる。つまり、いつ練習しても周囲に迷惑をかけることがないのである。もっと本質的に言えば、クラヴィコードほど、演奏者がたった一人で音楽と向き合うことに適した楽器はない。その意味では、クラヴィコードは「音楽の魂」を体現した楽器である、と言えるだろう。

■静寂呼ぶ極小の音響 「魂からの演奏」可能に

復興するクラヴィコード――ひとの声に近い楽器――(読売新聞夕刊文化欄1998.5.16)

渡邊順生著『チェンバロ・フォルテピアノ』

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