ブランデンブルク協奏曲の新盤に寄せて
――オリジナル楽器によるバッハの演奏――
(「季刊GRC」第9号[1978年3月発行]所収)

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■歴史的なアプローチ
 折角話が核心に触れて来たところで大変申し訳ないが、ここでちょっと余談になる。堅い話がだいぶ長くなったので、ここで少し肩をほぐして下さい。

 ――司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を読んでいたら、その初めの方に、実に興味深い一節があった。『翔ぶが如く』は、明治初年の西郷隆盛と西南の役を題材として書かれた歴史小説である。

 薩摩藩という藩は、江戸時代を通じて、他藩との間に人の往来を許さず、いわば藩単位で鎖国をして、暮藩体制の中に組み込まれながら一種独立国の観をなし、幕末多くの志士達を生んだが、これらの薩摩人には朴強の士が多かったという。

 この作品の冒頭で作者は次のように語っている。

 《西郷がまだ部屋住みの若者の頃のことである。台風と出水があって、家中が騒いでいたとき、西郷がふと見ると、水が垣根まで来ていた。その垣根の側を鼻緒の赤い下駄が流れてゆく。オヤと西郷はひとりおどけて、

「下駄さァ、こんぅ風ぜぇ、どこずい、おじゃすか」

と、赤い鼻緒に話しかけたという。

 こういう優しさとユーモアは当時の薩摩人に大なり小なり共通していたものがあり、この機微がわからなければ、うかつに薩摩のことは書けないと私はいまでも思い、はたしてこの小説がそういう人間現象のどういう内部まで入ってゆけるかということを、すでに書きはじめてしまっているいまでも思い悩んでいる。》

 歴史上の人物について考えるというのは難しいことだ。過ぎ去った時代のものは、形として残るものや、記録に残っている事実を除いては、長い年月のうちに変化し、或いは消滅してしまうものが多い。ある時代の生活様式、精神的風土などというものは、その時代や、その時代に生きた人物について考える場合、極めて重要な事柄であるにも拘らず、時が経つうちに跡形もなく消え去ってしまって非常につかみにくい。

 筆者は歴史小説が好きで、司馬遼太郎の作品にしても、今までに随分いろいろなものを読んだが、彼の作品の主人公達は、源義経にしろ織田信長にしろ、また坂本龍馬にしろ、作品の中で非常に強い実在観をもって息づいている。

 「司馬氏は、歴史の中の人物と友達づきあいをしているようだ」と言っていた解説者がいたが、正にその通りで、そうでなければ、歴史上の人物が、彼等はかつて実際に生きていただけになおさら小説の中で、ああまで強い実在観をもって甦っては来ないだろう。

 歴史上の人物と友達づきあいをする秘訣は、その人物や、その時代を、「内側から見る」ということであろう。

 では、内側から見るとはどういうことか。それは、現代人と彼等とを隔てている時の壁を突き破って、その時代を、その人物を、自分の肌で感じることにほかならない。その人物の足跡をたどりながら、その当時の生活感覚や、当時の精神的バック・グラウンドの中で、その人物と共に感じ、その人物と共に考えるのでなければ、その人物を内側から理解することは出来ない。

 先の引用文は、そうした司馬遼太郎の歴史上の人物に対するアプローチの姿勢を端的に示していると思う。

 話を「音楽」に戻そう。

 ある作曲家の作品を演奏する演奏家にとって、その作曲家を内側から理解することは、どうしても必要なことであるように思える。作曲家がその作品に於て何を意図したか、その作品の個々の部分に何を感じていたか――それを自分自身の感覚に納得させたとき、初めてその演奏家は、その作品に対する客観的な観点を成立させ得るのである。

 要するに、250年も前に書かれたバッハの作品を現代に生かすためには、歴史小説の作家が、織田信長を、その作品の中で現代に甦らせるのに必要な作業と、全く同様とは言えないが、少なくともかなり似通った性質の仕事をしなければならない筈である。

 ところが、この作業は、対象となる作曲家或いは作品によって、極端に難しい場合がある。作曲者が死んでから何百年も経っている場合などは、この作曲者を内側からとらえるという作業は困難を極める。バッハの場合などもこの例に洩れない。

 ところで、断っておくが、演奏家というのは、作曲家とは全く別の人間だから、畢竟、作曲家そのものにはなり得ない。また、今日の人間が、いくらバッハを内側からとらえた積もりでも、地下のバッハは苦笑しているかも知れず、最終的には、決定的な保証は何もないのである。従って、要は、如何にして一番もっともらしい仮説をたてるか、ということにかかって来る。

 バッハは、十九世紀以降のヴァイオリン、金属性のフルート、キーのたくさんついた管楽器等を全く知らずに死んだ。だから、バッハが持っていた音のイメージ、彼が彼自身の作品に感じていたものと、現代の、バロック楽器を弾いたこともない通常の楽器の奏者達が、バッハの楽譜を見て感じるところのものとの間には、かなり大きな距離があると思われる。

 「もしバッハが現代の楽器を知っていたなら」というような非現実的な仮定は、あまり積極的な用を為さない。かつて、「バッハは、当時の不完全な楽器に満足せず、今日の優れた――つまり、より完成された楽器の出現を予知していて、そのためにあの偉大な作品群を書いたのだ」というようなことが言われた。ロマンティックな幻想である。このような考え方には何の保障もないし、あまりもっともらしい仮説であるとも考えられない。

 バッハの、あの巨大な世界の内側を探ろうとするなら、やはりバッハの生存当時に使われていたような楽器――即ち所謂オリジナル楽器をとりあげてみなければならない。そしてそこで不可避的にぶつかるのが、楽器の演奏法――演奏解釈も含めた――という大きな問題なのである。

 ここでは、オリジナル楽器によるバッハの作品へのアプローチが、ネーデルラントの演奏家達によって、どのように行なわれていったかという点にも留意して、話を進めたいと思う。

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