Cembalo, Clavicordo & Fortepiano
 J.S.バッハゴールドベルグ変奏曲/渡邊順生
 解説


 □成立事情/バッハ自身の手による改訂版
 □変奏の手法と変奏曲の種類
 □全体の構成
 □各変奏曲の特徴 前編
 □各変奏曲の特徴 後編
 ■作品の内容的特性
 □ゴールドベルグ 表

作品の内容的特性

 バッハは、この作品全体を通して演奏することを考えていたのだろうか。これは、かつては疑問視されていたのだが、以上のような全体の流れを見れば、少なくともバッハの想念における限り、疑問の余地はない。特に、最初の6曲の変奏と最後の6曲の変奏において、ABC3グループの変奏が順次配列されるという規則性が破られており、しかもそれが全体をより説得力のある構成にするために行われていることを見れば、それば明らかであろう。ここで、バッハは、協奏曲の原理、もう少し正確に言えば、彼が協奏曲の形式に長年求めてきたのと同じ原理を応用しているのである。
 バッハは30歳になる少し前のヴァイマル時代に、ヴィヴァルディをはじめとするイタリアの協奏曲をつぶさに研究して以来、この形式と取り組んできた。上でも、第29変奏の説明の際に述べた「リトルネッロ形式」である。何も、トゥッティ(総奏)とソロ(独奏)の対比の原理というような単純なものではない。協奏曲の原理を、楽器編成というような音楽の「器」の問題から離れて音楽の構造の原理として捉え、冒頭主題の造形、フレーズの積み重ね方や和声の進行の仕方などの技法を錬磨・深化させることによって、常にそれぞれの局面における理想的なリトルネッロを構築し、それに対応する理想的なソロ部分を創造することに心を砕いてきた。1730年代には、チェンバロ協奏曲を重点的に作曲しただけではない、この時代に書かれた彼の主要な作品の中には、クラヴィーア曲、室内楽曲はもとより、カンタータや受難曲のアリアに至るまで、この形式によっているものが極めて多い。そのように見るならば、バッハにおける「リトルネッロ形式」はベートーヴェンにおける「ソナタ形式」に相当する彼生涯の課題であったと言っても過言ではない。その長年の成果は、まずアリアの構成の中にはっきりと顕れ、また変奏曲間の性格の対照と持続の妙の中に活かされている。また、Bグループの変奏は、その軽快さ・華麗さ・技巧性という点で協奏曲の独奏部分と共通のものを強く感じさせる。ただ、協奏曲という形式がトゥッティとソロという二元対立原理で成り立っているのに対し、この変奏曲はABC3種類の変奏技法が駆使された、という点が違うだけである。だから、正真正銘のリトルネッロ形式を導入した第29変奏は、全曲の要約だと言ってもよいのである。
 《ゴルトベルク変奏曲》がそれ以前のバッハのクラヴィーア作品と大きく異なるのは、穏やかながら広大な広がりを感じさせることである。それは多分、この作品の多くの変奏曲の中に感じられる「ユーモア」と関係があるであろう。バッハの器楽作品は、一般的には、余り「ユーモア」を感じさせない。17世紀の音楽と18世紀の音楽を比べた場合、17世紀の音楽の方が巨きな世界観が感じられ、モニュメンタルな印象を与えるものが多い。17世紀の音楽は一般に非常に真面目であり、18世紀の音楽の方が「遊び」が多く、ユーモアを多く含んでいる。17世紀の音楽の多くは貴族のものであり、それに対して18世紀にはブルジョワジーが抬頭した、という時代の違いも大きく影響している。バッハは、18世紀にあって17世紀の偉大な精神を体現した音楽を多く遺している。バッハの音楽は、ブルジョワ的諧謔趣味とはほとんど何の関わりもない。だが、《ゴルトベルク》の場合は彼の他の作品とは少し違う。まず、この作品は、バッハの作品中でも特に「遊びの精神」にあふれたものの1つである。特にBグループの変奏はそれを強く感じさせるが、Cグループのカノンにも、バッハの大好きな「パズル遊び」の要素が強い。それが、一種独特な「余裕」の感覚を生んでいる。「ユーモアまた然り」である。ユーモアは、自分自身を少し距離を置いて眺める心の状態から生じて来る。ユーモアは、単に面白み、滑稽さ、あるいは機知などを感じさせるだけではない、広い心、寛容さなどとも深い繋がりがある。だから、ユーモアが音楽において発揮された場合、それは優美さとして現れる場合も多いのだ。ここで、55歳のバッハは、壮大なパルティータをたて続けに書いた40代前半の頃とは、全く異なる境地を開いている。
 《ゴルトベルク》は、人生における様々な想い、様々な思い出が、走馬燈のようにくるくると現れては消えて行くような印象を与える。この作品には、一種の旅の感覚がある。第30変奏の後半は、正に旅の終りを強く感じさせる。30曲を聴き終わって(弾き終わっても)アリアが戻ってくる瞬間には、特別な感慨が湧いてくる。その瞬間の感動のために、演奏会場に足を運んでくれるお客さんも多い。《ゴルトベルク》はCD向きの曲だと書いたが、この瞬間の効果だけは、生演奏に敵わないだろう。このディスクがもし気に入って頂けたなら、コンサートにも是非いらして下さるようお願いして、この解説の筆を措きたい。

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