Cembalo, Clavicordo & Fortepiano
 J.S.バッハゴールドベルグ変奏曲/渡邊順生
 解説


 □成立事情/バッハ自身の手による改訂版
 □変奏の手法と変奏曲の種類
 □全体の構成
 □各変奏曲の特徴 前編
 ■各変奏曲の特徴 後編
 □作品の内容的特性
 □ゴールドベルグ 表

各変奏曲の特徴

□後半=第16〜30変奏

第16変奏
力強く華麗なフランス風序曲。前半は付点リズムの支配的な荘重な部分、後半は3拍子の軽快なフーガである。途中でテンポの変化する変奏はこれ1曲しかない。
 バッハは、《クラヴィーア練習曲集第1巻》と《第2巻》で、後半の開始曲にフランス風序曲を用いたが、ここでもそれを継承している。このことから、バッハが、4巻に及ぶ《クラヴィーア練習曲集》の出版を一貫したプロジェクトと考えていたことがわかる。これらの曲集は、その都度、行き当たりばったりに作られたのではなく、一纏まりの、壮大な百科全書的鍵盤音楽の集大成として設計されたのである。そのように見ると、これら4巻の曲集の間に、明確な起−承−転−結の関係のあることが見えてくる。
 この作品を演奏会のステージに乗せる場合には、第15変奏と第16変奏の間に休憩を挟むことが多い。そうすると、前半も後半も40分前後となり、今日の演奏会の常識的な演奏時間内にうまく収まる。第16変奏も、新たな始まりとして、いかにも新鮮に響くのである。ところが作品を熟知している聴き手の中には、第15変奏と第16変奏を続けて聴きたい、という人が必ずいる。極めて対照的な性格をもつ第13変奏と第14変奏に続いて、第15変奏ではそのコントラストは更に拡大され、第15変奏と第16変奏の間の落差は、作品全体の中で最大になる。それを実地に体験したい、という人がいるのは当然のことだが、そうなると全曲を中断なしに弾かねばならなくなる。それでは長すぎる、ひとの集中力には限度がある、という意見が沢山出てくる。音楽を聴く姿勢というのは十人十色だが、この作品では特にその個人差が大きくなる。1曲1曲の変奏曲をじっくり味わいたいという人、自分の好きな変奏曲に的を絞って聴く人から、全体の流れを聴きたいという人まで様々である。その点で、CDはまことに便利である。ボタン操作1つで、今日はAグループの変奏だけをとり出して聴いてみよう、別の日にはカノンだけ、というようなことが自由に出来る。そうした意味では、《ゴルトベルク》ぐらいCD向きの曲は他にないのではないか、とさえ思えてくる。――閑話休題。

第17変奏
前の変奏のフーガにおいて特徴的な16分音符の3度の動きを、「しりとり歌」のように引き取って始まる。全曲中でも、第23変奏と並んで最もユーモラスな印象を与える変奏。

第18変奏
軽快な6度のカノン。

第19変奏
メヌエットを思わせる落ち着いた3拍子の変奏。但し、バッハは、メヌエットには通常4分の3拍子を用いているので、8分の3拍子のこの変奏では、通常のメヌエットよりやや軽快な性格もしくは速めのテンポが意図されていると解すべきであろう。

第20変奏
全曲中でも屈指の難曲の1つ。16分音符の6連符が登場すると急激にテンポが加速された感じになり、緊張感を一気に高める。

第21変奏
前曲とは全く対照的に、いかにも悲しげな響きを聞かせる7度のカノン。この変奏は2曲目の短調曲だが、その雰囲気、そして特徴的な半音階進行は、次の、そして最後の短調曲である第25変奏の気分を先取りし準備する。

第22変奏
活発明朗なアラ・ブレーヴェで、前の曲の暗い気分を一掃する。

第23変奏
第17変奏と並ぶ全曲中でも特にユーモラスな変奏。16分音符による両手の追いかけっこで始まり、その後に現れる和音と32分音符のウィットに富んだ交替が特徴的である。

第24変奏
舟歌のようなリズムによる穏やかなオクターヴ(8度)のカノン。Cグループ中で最も模倣関係の聞き取りやすい変奏。前半でも後半でも、2つの模倣声部が中ほどで先導の役割を交替する。

第25変奏
唯一アダージョのテンポ表示をもつ。限りなく悲痛な表情を湛えていることで全曲中でも最も印象的な変奏である。頻繁に現れる半音階の下降は「死」をイメージさせる音型である。

第26変奏
湧き上がるような上昇音型が特徴的。全曲中で最も至難な技巧を要求する。

第27変奏
これまた上昇音型による9度のカノン。この変奏は、前述のように、これまでの8曲のカノンの書法から逸脱し、Bグループの性格に近づいている。従来、このカノンが2声部のみで書かれているのは、8度のカノンまでの3声部書法を維持することが演奏技法的にも作曲技法的にも困難になったからである、と説明されることが多かったが、それでは、作曲者の意図を見誤ることになる。

第28変奏
32分音符のトレモロの連続が耳を惹く。最初の4小節の左手が第1変奏のバスを強く想い起こさせる。

第29変奏
全曲中の頂点。当時の協奏曲のための一般的な形式だったリトルネッロ形式が採用され、和音を主としたトゥッティの部分と16分音符の6連符によるソロの部分の対比の中に、A・B両グループの対照が要約されている。この変奏の和音の部分は全曲中で最も声部数が多く、一方ソロの部分はほとんど単旋律といってもよく、全曲中で最もテクスチュアが薄い。

第30変奏
「クオドリベット」すなわち幾つかの旋律を同時に歌ういわば「混ぜ歌」。ここでは2つの民謡から取られた旋律の断片が組み合わされているのだが、それらの歌詞は「お前と別れていく久し」と「きゃべつとかぶに追い出されたのさ」というのである。その直後に冒頭のアリアが再現してこの未曾有の大曲を閉じるのであるが、これらの民謡はアリアの再現を導く手段として用いられた。アリアが久しい間「追い出されて」いたのは、作曲者の想像力が生んだ卑しい「きゃべつとかぶ」のせいだというわけである。バッハは、このちょっとユーモラスな思いつきを楽しんで使ったに違いない。この変奏は、特に後半では一種独特なノスタルジックな響きをもっているし、最後の部分は長い旅からの帰着をイメージさせる。
 「クォドリベット」は、バッハ一族の会合の席上でいつも歌われていたものらしい。フォルケルは、前掲の『バッハ評伝』の中で、次のように述べている。〈彼らは皆が1つの場所に住むことができなかったので、少なくとも年に1度は顔を合わせたいと願い、一定の日をきめて、全員が所定の場所に集まるのだった。・・・集まる場所はたいていエアフルト、アイゼナハ、あるいはアルンシュタットで、この集まりで時を過ごすやり方がまことに音楽的であった。仲間はカントルやオルガニストや町楽士ばかりで、いずれも教会に関係していたし、また当時は何事につけ宗教的にはじめるのが慣わしだったので、彼らが集まると最初にまずコラールを唱和した。だが、このように信心深くはじまったのちは、しばしばそれと大違いの戯れに移っていった。つまり、ときにはおどけた、ときにはいかがわしくさえある内容の民謡を、各人が同時に即興で歌ったのである。だから、即興の諸声部は一種のハーモニーをつくり上げながらも、歌詞の内容は声部ごとに異なっていた。彼らはこの種の即興的な唱和をクォドリベットと呼び、自分たちが心の底から笑っただけでなく、それを聴く者もみな、心から笑わずにはいられなかった。〉(角倉一朗・訳)
BACK