レクチャーコンサート
ベートーヴェンと《不滅の恋人》
−講演−


演奏曲目:
ピアノ・トリオ断章 変ロ長調 WoO39
ピアノ・トリオ《大公》
歌曲《アデライーデ》 Opus 46
歌曲《恋人に寄す》 WoO 140
連作歌曲集《遙かなる恋人に寄す》 Opus 98
スコットランド・アイルランド民謡(ピアノ・トリオの伴奏付き)
みなさん、本日はようこそおいで下さいました。本日のコンサートは3部に分かれております。第1部は「お話」で、30〜40分ぐらいお耳を拝借したいと思います。それから、第2部が演奏の前半、第3部が演奏の後半、という構成になっております。


 「不滅の恋人」という本題にはいる前に、先ず、ベートーヴェンとはどういう人間か、また彼の音楽はどのような音楽か、ということについてお話をしたいと思います。モーツァルトとベートーヴェンは、年齢で言えば、たった14歳しか違わないのに、彼らの音楽作品からは、14年どころではない、もっと大きな違いを感じます。それは、彼らの個性の違いと彼らの生きた時代の違いが、相互に作用し合っているからです。多分、みなさんは、モーツァルトやベートーヴェンの肖像画をご覧になったことがあるでしょうから、ちょっとそれを思い出してみて下さい。何処が一番違うと思いますか? もちろん、2人は全く別の人間ですから顔が違うのは当たり前ですけれど、それ以外でまず気が付くことは、着ている洋服の色の違いです。モーツァルトは、ブルーがかったグレー、あるいは黄色、あるいは赤、あるいはワインレッドの洋服を着ていますが、ベートーヴェンの着ている服は、ほとんどが黒っぽい色です。これは、彼らが着ていた洋服の実際の色の違い以上に、肖像画を描いた画家の美意識あるいは美的価値観の違い、また、彼らの生きた時代の趣味の違いを端的に表していると思います。モーツァルトがカラフルで飾りの付いた洋服を着ているのは、彼の活躍したのが、女性のリードする宮廷や貴族のサロンであるからです。モーツァルトはフランス革命の真っ最中に若くして死んでしまいますが、ベートーヴェンが活躍した時代――つまりフランス革命の直後からナポレオン時代にかけて、ヨーロッパ全土は、市民社会――すなわち、男がリーダーシップを握る新しい社会へと急速に傾斜して行きます。

 ベートーヴェンは、音楽史上まれに見る「男性的」なフィギュアで、フランス革命の理念――すなわち、「自由・平等・博愛」を信奉し、それを何とか音楽で表現しようとしました。特に彼が音楽で実現したのは「博愛」の理念です。「博愛」というのはどういうことかと言うと、「人々が兄弟のような繋がりを持つ」ということで、自分の喜びや悲しみを他人の喜びや悲しみとし、他人の苦しみを自分の苦しみとして感じる、ということです。ですから、ベートーヴェンの音楽は、まず彼自身の主観から出発しますが、それが次第に普遍的なものに押し広げられて行く、平たく言えば、時間が進むに連れて、共感や感動の度合いが高まっていくことを最大の特徴としています。

 特に「中期」と呼ばれる、1800年代のベートーヴェンの音楽は、そうした「感情の普遍化」がヒロイックな――つまり、英雄主義的な形式で表現されている。この時代の代表作――すなわち、交響曲の「英雄」とか「運命」、ピアノ・ソナタの「熱情」などはこうした特徴を持っています。彼の「男性的な性格」というのは、たとえば、一昔前の映画のヒーローを思い浮かべていただくとわかりやすいと思います。特に、ゲイリー・クーパーやジョン・ウェインが西部劇で演じた役柄です。彼らの演じた人間像に共通するのは、まず強い、しかし単に肉体的に強いだけではなく、彼らは自分の信ずるもののために命を賭けます。彼らは口下手で「お喋り」は苦手なので、言葉で自分自身を表現することは出来ない。だから、愛する人にも誤解されてしまう。しかし、彼らは「行動」の人だから、そうした誤解を解くのも、行動によってしか出来ない。彼らはとても優しくて寛容な心の持ち主ですが、それをストレートに表現できない。何故なら、彼らはそうした部分では、極端に「照れ屋」だからです。これは「男社会」の作り出した典型的なヒーローのイメージです。だから、最近の映画でケヴィン・コスナーやトム・ハンクスの演じるヒーローとはだいぶイメージが違う。これが、またベートーヴェンの性格に「ドンピシャッ!」という位、うまくはまっている。こういう人物の創り出したヒロイックな音楽が、1800年代のウィーンで大いにうけて、彼は正に時代の寵児になります。


 ベートーヴェンは大変なロマンティストで、若い頃にはいつも恋をしていた、といいます。「憧れ」の対象になる女性を見つけては、情熱を燃やし、それを自分の創作活動のエネルギー源にしているのです。そうしたベートーヴェンの数少ない「本物の恋」の相手になったのは、ハンガリーの貴族ブルンスウィック家の令嬢で、ヨゼフィーネ・ダイム伯爵未亡人でした。この人との恋愛関係は、1804年から1807年まで続いていますが、恐らく身分の違いが原因で、この恋愛はつぶれてしまいます。ヨゼフィーネ・ダイムは、平民のベートーヴェンに対して、貴族の誇りを捨てることが出来なかったのでしょう。

 ベートーヴェンは1827年に56歳で死にますが、彼の葬式の数日後、遺品を整理していた友人たちは、彼の秘密の小箱を発見します。その中に大事にしまわれていたのは、彼の全財産とも言える有価証券と、2人の女性のミニチュアの肖像画と、そして3通の手紙でした。その手紙を読んだ友人たちは仰天します。何故なら、その手紙は明らかに続けて書かれた、紛れもない熱烈なラヴレターで、その中で彼は相手を「私の天使、私の全て、私の最も愛しい人、わが不滅の恋人」と呼んでいたからです。この手紙をよく読んでみると、まず、相手は貴族で、しかも既婚の家庭をもった女性であることがわかります。何故なら、ベートーヴェンはこの熱烈な手紙の中で、相手の宛名を書かず、イニシャルさえも書いていない、自分についてもフル・ネームでサインしていない、これがスキャンダルをおそれたための配慮であることは明らかで、何故なら、ヨゼフィーネ・ダイム伯爵夫人に宛てた手紙では、彼女が未亡人であったためにこのような配慮はされていないからです。

 次に起こる当然の疑問は、「この手紙は果たして投函されたのだろうか、もし、そうなら何故彼の手元にあったのか」ということです。しかし3通目を読むとその疑問もほとんど解けます。火曜日の朝に書かれたこの手紙を書いている時、途中までは、ベートーヴェンは手紙は木曜にならなければ郵便馬車が出ない、と信じ込んでいるのですが、突然「私の天使よ、いま私は郵便馬車が毎日出ていると知りました」という文章が現れ、とたんに文字が大きくなり、書き方が殴り書きになって、「愛している、愛している」と連呼し、「愛してくれ、愛してくれ」を連呼して、完全に平静さを失って、郵便馬車に手紙を預けに飛び出したに違いない様子が彷彿とする、「手紙は出さない方がよいかも知れない」などと考え直す心の余裕はみじんも感じられない・・・だとすると、これらの手紙は投函した後に返してもらった、多分発覚してスキャンダルになることをおそれたためでしょう、それをベートーヴェンは死ぬまで、自分の一番大事なものを入れる小さな筺にしまっておいた、その理由はたった1つ、彼が死ぬまで彼女のことを愛していたからです。

 しかも、この手紙からわかることは、相手の女性はダイム伯爵夫人のように、貴族の誇りを捨てられない、などということは全然ない。寧ろ、彼女はベートーヴェンに、私は駆け落ちも辞さない、というようなことを言ったに違いない。だから、ベートーヴェンは一生懸命「早まったことはしてくれるな」と、彼女に軽挙妄動を慎むよう説得に努めています。

 こうなると、この女性は誰か、この手紙はいつ書かれたか、この恋の顛末はどうなったのか、を知ることは、ベートーヴェンの人生を知り、それによって彼の音楽を理解するためにはどうしても不可欠、ということになって来ます。ところが、この謎は150年あまり、誰にも解けなかったのです。それを解き明かしたのは、アメリカの音楽学者メイナード・ソロモンでした。彼は、1972年に自説を発表し、77年に著書の中でそれをさらに詳しく論じ、根拠を明らかにしました。その著書が日本語に翻訳されたのは、1992年のことです。


■本日の演奏曲目と「不滅の恋人」との関係

ピアノ・トリオ断章 変ロ長調 WoO39

 この作品は、1812年7月26日、不滅の恋人への手紙が書かれるちょうど10日前に、彼女の娘で当時10歳になるマクシミリアーネ・ブレンターノに捧げられました。「ピアノの上達を願って」という献辞が付けられ、ピアノ・パートには懇切丁寧に指使いが細かく書き込まれています。重要なのは、そうした心遣いと共に、彼がふだんあまり見せたことのないストレートな優しさが、この曲を支配していることです。彼が子供――それも愛人の娘に注ぐ愛情の深さ、というだけではなく、終生独身を通した彼の「家庭」に対する憧れなども入り交じっているのではないでしょうか。

ピアノ・トリオ《大公》
 この作品は、時期的には中期の終わりに属していますが、内容的には明らかに「後期」の特徴を備えています。ベートーヴェンの後期の様式に於いて顕著なのは、「英雄主義的様式」の融解――平たく言えば、中期を特徴づけていたヒロイズムが影を潜めて、もっと穏やかな中に大きな広がりを持ってくる、ということが言えると思います。作品に「諦観」が現れるようになる。「諦観」と言っても、日常的な意味での「あきらめ」というようなネガティヴなものではなく、寧ろ「解脱」の境地といった方がよいかも知れません。

 この作品は、不滅の恋人との恋愛が、順調に軌道に乗ったと思われる1811年の春に作曲されました。「恋愛」がうまくいっているのに、何故音楽に「諦観」が現れるのか、不思議に思う方もいらっしゃるかも知れませんが、それは、これまでもベートーヴェンは人生の諸々の辛酸をなめ尽くして来た――その最大のものが「耳の病気」であったわけですが、様々な人生経験を経たこの大作曲家が、恋愛によって内的に充実し、そのエネルギーによって、創作活動の中でも新たな地平を切り開いた、ということが出来ると思います。特にこのトリオの第3楽章は、穏やかな広がりを持った、まことに美しい緩徐楽章ですが、その美しさの奥に、何か計り知れない「悲しみ」のようなものを感じてしまいます。

 音楽における諦観の表現という点では、連作歌曲集《遙かなる恋人に寄す》では、こうした後期のベートーヴェンの作風が典型的な形で現れてきます。その話は、また後半の始まるときに致しましょう。


■後半の歌曲の説明:

アデライーデ Opus 46

 ベートーヴェンの最も初期の作品の1つ。若々しい情熱がほとばしり出ているような作品で、ベートーヴェンの歌曲の中では最も人気の高いものです。ベートーヴェンのラヴ・ソングの原型と言ってもよいでしょう。

恋人に寄す WoO 140
 これは、1811年の秋に、恐らく、不滅の恋人アントニエ・ブレンターノのために作曲された短い歌曲です。この歌曲の第1項は、ピアノまたはギターの伴奏によるものですが、このような伴奏楽器の指定は、ベートーヴェンの他の歌曲には例のないものです。そして、アントニエ・ブレンターノはギターが上手でした。また、この歌曲のベートーヴェンの自筆譜には、アントニエ・ブレンターノの筆跡による書き込みがあります。この歌曲は短いけれど、ベートーヴェンの優しさがよく現れたもので、そういう点では、前半で演奏したピアノ・トリオの断章と共通しています。

連作歌曲集《遙かなる恋人に寄す》 Opus 98
 この歌曲集は、6つの歌曲を中断なしにつないだもので、1816年春、不滅の恋人と別れてからほぼ3年半後に作曲されました。この時期になると、ベートーヴェンは、もう不滅の恋人と現世で結ばれると言う希望は、ほとんど持っていなかったと、思われます。作詞は、若い医学生アロイス・ヤイテレスという人物ですが、この詩人は、恐らくベートーヴェンの依頼でこの詩を書いたのでしょう。彼は、ベートーヴェンの本音とも思われる内容を若々しい言葉で語っています。「ぼくたちの幸せも、苦悩も、山と谷が引き離していて、燃え立って貴女に注がれるこの眼差しを、貴女は見ることが出来ない」という歌詞は、いかにも悲痛な想いを表しているのに、音楽は驚くほど穏やかで聴き手の共感を求めていません。「何一つ貴女に届かず、何一つこの愛を伝えてくれないなら、ぼくは歌を歌おう」――自分には音楽しかないんだ、というベートーヴェン自身の悲鳴とも決意とも取れる言葉で――「お前にとっては、お前自身の中と、お前の芸術の中と以外には幸福はない」という、1812年の彼の手記を思い出させますが――これも前と同じ穏やかなメロディで素っ気ないほど、淡々と語られてしまう。こんなに、レトリックが簡単に放棄されてしまっていると、かえって聴く側の心が動揺してしまう。作曲者が無作為であればあるほど、音楽が聴き手の心に染みわたってくる、とも言えるでしょう。第5曲の最後で、「ぼくたちの恋にだけは春は訪れず、涙だけがぼくに送られる全てなのだ」という言葉がゆっくり悲しく語られると、その沈潜の淵から、穏やかで澄み渡ったメロディが流れ出して、「さあ、これらの歌を、恋人よ、貴女のために歌った歌を受け取って下さい」という言葉が続くところ、この作品の最も感動的な瞬間だといえましょう。

 ベートーヴェンがアントニエ・ブレンターノに対して、正式に作品を献呈したのは、1823年、彼のピアノ音楽の最後の大作《ディアベッリ変奏曲》でした。このとき、2人が離ればなれになってから、実に11年の歳月が経過していました。

ピアノ・トリオの伴奏の付いたスコットランド・アイルランド民謡
 ベートーヴェンとアントニエ・ブレンターノは、もし駆け落ちするとしたら、何処で暮らそうと思っていたのでしょうか。その有力な候補地の1つは、多分ロンドンだったと思われます。ロンドンのフィルハーモニー協会は、ベートーヴェンの招聘に非常に熱心でした。ロンドンで活躍していたベートーヴェンの弟子のフェルディナント・リースは、手紙で何度も、ベートーヴェンとフィルハーモニー協会の仲介をしています。しかし、結局ベートーヴェンの渡英は実現しませんでした。

 ベートーヴェンは、アントニエ・ブレンターノと知り合った頃から、スコットランドのエディンバラの楽譜商ジョージ・トムソンから依頼されて、スコットランドやアイルランド、ウェールズなどの民謡を編曲し、ピアノとヴァイオリン、チェロの伴奏を付けて出版する、という仕事をし始めていました。この民謡編曲の仕事は、ベートーヴェンの後期の作品にも影響を与えました。特に顕著なのは、「遙かなる恋人に寄す」に与えた影響です。

 本日演奏する5曲は、最初の4つがスコットランド民謡、最後の1曲がアイルランド民謡です。内容的には、最初と最後の曲が、乾杯と祭りの賑やかな歌です。2曲目は、ちょうど、2年前に公開された映画『ブレーブハート』を思わせる内容を持っています。霧の中から亡霊のように、過去の血なまぐさい光景が出現する――インヴァネスの美しい乙女の父親は、叛乱に加わって領主に殺されてしまった――3人の兄も死んだ――谷は虐殺の血で真っ赤に染まった――やがて、そこにはまた草が生い茂り、谷は再び緑に覆われた――というものです。3曲目は、軽い恋の歌、4曲目は農民の娘と若者の情愛あふれる愛の歌で、収穫が終わって出稼ぎに行かなければならないジョニーに、娘が「忠実なジョニー、あなたはいつ帰ってくるの?」と訊ねると、ジョニーが「とうもろこしの取り入れの終わる頃、冬の風が冷たく吹いて、ハロウィーンがみんなを驚かせる頃、君とまたここで会おう」と答えます。

ベートーヴェンと「不滅の恋人」

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