Cembalo, Clavicordo & Fortepiano
 J.S.バッハ イタリア協奏曲
 解説


 □ルッカース・グラン・ラヴァルマン
 □フランソワ・エティエンヌ・ブランシェによる《猿のチェンバロ》
 □ニコラ・ルフェーヴルのチェンバロ
 □《イタリア協奏曲》と《フランス風序曲》
 ■バッハ父子の《2台のチェンバロのための協奏曲》
 □A Note about the Instruments
 □曲目一覧

バッハ父子の《2台のチェンバロのための協奏曲》

 《クラヴィーア練習曲集第2巻》の出版に先立って、1731年と33年に、バッハは長男のヴィルヘルム・フリーデマンを伴ってザクセン選帝侯の都ドレスデンに旅している。《2台のチェンバロのための協奏曲 ハ長調》は、そうした折にフリーデマンとの二重奏を聴かせるために書かれた作品であろう。弦楽四部による伴奏は、その後、バッハが、ライプツィヒ大学のコレギウム・ムジクムを率いて、ツィンマーマンのコーヒーハウスで演奏した際に付加されたものであろう。この作品は、2台のチェンバロが華麗な二重奏を聴かせるヴィルトゥオーゾ的な作品であるが、両端楽章は、やはり「リトルネッロ形式」で書かれている。「2台のチェンバロのためのイタリア協奏曲」と言ってもよい。私は、この作品が直接のきっかけになって、「1台のチェンバロのためのイタリア協奏曲」が作曲されたと考えている。楽章全体の調性プランから、主題の性格や推移部の書法など、両者には共通点が少なくない。
 ヴィルヘルム・フリーデマンの《2台のチェンバロのための協奏曲 ヘ長調》という作品もまた、父親のハ長調の協奏曲を手本に書かれた。恐らく1730年代の前半から半ばにかけて作曲されたものであろう。この作品は、ヨハン・ゼバスティアンの手に成る写本が残されているため、かつては、ゼバスティアンの作品と考えられていた時期もあった。しかし、様式的には、既に18世紀後半を特徴づけるギャラント様式、あるいはその中でもバッハの息子たちがイニシアティヴを執った多感様式の入口に立っている。明らかにバッハより若い世代の音楽である。特に冒頭楽章では、バッハの作品に比して、和声がずっと単純で、旋律には歌う性格がより顕著である。しかし、その一方で、細かい音型を積み重ねて表現効果を上げるような作曲技法や、説得力のある構成など、父親からの影響もまたはっきりと看て取れる。また、バッハが最も期待をかけた息子の豊かな才能が十分に発揮されていることも明らかだ。バッハ以外の作曲家のものでは、2台のチェンバロのために書かれた作品中の最高傑作である。父子によってほぼ同時期に書かれたこの2つの協奏曲を並べて聴いてみることで、時代の急速な変化を感じとって頂ければ幸いである。

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