Cembalo, Clavicordo & Fortepiano
 J.S.バッハ イタリア協奏曲
 解説


 □ルッカース・グラン・ラヴァルマン
 ■フランソワ・エティエンヌ・ブランシェによる《猿のチェンバロ》
 □ニコラ・ルフェーヴルのチェンバロ
 □《イタリア協奏曲》と《フランス風序曲》
 □バッハ父子の《2台のチェンバロのための協奏曲》
 □A Note about the Instruments
 □曲目一覧

フランソワ・エティエンヌ・ブランシェによる《猿のチェンバロ》

 しかし、18世紀のパリにおけるチェンバロ製作者たちの全てが、常に、ルッカースのグラン・ラヴァルマンやそれを手本とした楽器の製作に邁進していたわけではない。何人かの優れた製作者たちの楽器の中には、ルッカース・グラン・ラヴァルマンとはひと味違ったチェンバロを作ろうという意図も見られる。ブランシェ一族は、一台一台の楽器に大なり小なり新しい試みを盛り込んだ。彼らの果敢な実験精神は、品質の高さと表裏を為すものである。ニコラス・ブランシェの息子フランソワ・エティエンヌが1733年に製作した二段鍵盤のチェンバロ(パリ郊外、個人蔵)【写真】もまた、そうした楽器の1つである。この楽器においては、特にそのアクションの軽さによって、軽やかな音色が追求されている。この楽器は、当時の高名な装飾家クリストフ・ユエによって入念かつ特異な装飾が施されている。ユエの作品としては、シャルル・ド・ゴール空港にほど近いシャンティイの城館内の室内装飾が有名である。ユエは、このチェンバロのケースの外側、蓋の内外、鍵盤の周囲などを白く塗り、ケースの外側や蓋の内側に鶴や鴨、コウノトリや鸚鵡など、様々な鳥の絵を描いて、それらの鳥を金箔の縁取りで囲んだ。蓋の表側には、人間の服装をした猿たちが楽器を演奏している図が描かれた。木陰では1匹の雄猿が雌猿に求愛している。愛も奏楽も、チェンバロの装飾の題材としてはよく好まれた馴染み深いテーマだが、猿というのは珍しい。
 このレプリカの製作者デヴィッド・レイはアメリカ人だが、長い間パリで、チェンバロ修復家ユベール・ベダールのアシスタントを務めた。ベダールはアメリカのフランク・ハバードにチェンバロ製作を、グスタフ・レオンハルトにチェンバロ演奏を学んだ。フランスやベルギーで数多くのオリジナルのチェンバロを修復し、ケネス・ギルバートらと共に、フランスにおける古楽器復興に重要な役割を果たした人物だが、修復に際しての細かい仕事の大部分は、実際にはレイが担当したという話である。レイは、1733年のブランシェのチェンバロをコピーした際、オリジナルで鳥の絵が描かれていた部分も、全て猿の絵に替えてしまった。装飾部分は全てユエの様式に従っていて、非常に優れた出来栄えを示している。この楽器は、パリの古楽通の間では「モンキー・チェンバロ」の愛称で親しまれ、故スコット・ロスによる録音も遺されている。

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