Cembalo, Clavicordo & Fortepiano
 J.S.バッハ イタリア協奏曲
 解説


 ■ルッカース・グラン・ラヴァルマン
 □フランソワ・エティエンヌ・ブランシェによる《猿のチェンバロ》
 □ニコラ・ルフェーヴルのチェンバロ
 □《イタリア協奏曲》と《フランス風序曲》
 □バッハ父子の《2台のチェンバロのための協奏曲》
 □A Note about the Instruments
 □曲目一覧

ルッカース・グラン・ラヴァルマン

 18世紀のパリにおけるチェンバロ製作は、フランダースのルッカースのチェンバロを改造することに始まった。フランスは、チェンバロ製作において古い伝統を誇る国で、1440年頃のブルゴーニュで、他国に先駆けてチェンバロが製作された記録が残っている。17世紀のフランスのチェンバロは、同時代のドイツのチェンバロと非常によく似ており、まろやかながら引き締まった音色をもち、多声音楽の複雑なテクスチュア(織地)がよく見えてくるようなクリアーさを特徴としていた。
 一方、同時代のフランダースは、ルッカース一族がチェンバロ製作家としては未曾有の名声をほしいままにし、彼らの工房で大量に作られる楽器は近隣諸国にもどんどん輸出された。ルッカースのチェンバロでも特に贅沢なモデルには、ブリューゲルやルーベンスの絵が描かれた。フランダースの東側に隣接するオランダでは、早くも1604年に、「オランダのオルフェウス」と異名をとったスウェーリンクがアムステルダム市のためにルッカースのチェンバロを購入し、フランスでは1610年代にアンリ4世の未亡人であるマリー皇太后が王女エリザベートのためにチェンバロを発注した。その後、イギリスのチャールズ1世の宮廷もルッカースの楽器を購入したという記録がある。フランス・クラヴサン楽派の創始者といわれるシャンボニエールもまた、ルッカース一族の一員であるヨハネス・クーシェの楽器を好んで用いたと伝えられている。ルッカースのチェンバロは、フランスのチェンバロとは全く構造を異にしており、音色はやや硬質だが伸びのよい美しいもので、力強さでは他のどんなモデルにもひけを取らなかった。
 時代が変わり、フランスでは、広い音域と二段鍵盤が標準的に求められるようになるが、ルッカースのチェンバロは、こうした新しい時代の要求に合わせて改造されることになる。18世紀になると、かなり大型の楽器が求められるようになったので、楽器のサイズそのものも拡大することをを迫られるようになる。その結果、元の楽器は解体され、本体の側板は延長され、響板も拡大されて組み立て直された。このような大がかりな改造を、グラン・ラヴァルマン(仏)という。ルッカースのチェンバロには非常に高い値段が付いたので、多くの製作者たちは、その苦労を厭わず、ラヴァルマンのための技術を習得した。グラン・ラヴァルマンには、ひょっとすると新しい楽器を作るよりも何倍もの手間がかかったが、それは十分に報いられる仕事であった。記録では、通常の二段鍵盤の楽器の20倍もの値の付いたルッカースのチェンバロがあったことが知られている。
 グラン・ラヴァルマンを施されたルッカースのチェンバロは、元来の鮮明さを少し失ったかわりに、洗練されたまろやかな響きを獲得した。まろやかというより「甘い」といった方がよいかも知れない。良いコニャックや、特にカルヴァドスの芳香を想わせる。このタイプの最大の特徴は、中音域の比類ない響きの豊かさ、力強さにあった。その中音域とバランスをとるために、朗々たるビロードのような響きをもつ低音域と、のびやかでよく歌う高音域が創り出された。フランソワ・クープランをはじめとする18世紀初頭のフランスのチェンバロ奏者たちは、こうした楽器の魅力の虜となった。パリのチェンバロ製作界をリードしたニコラス・ブランシェは、それまでの長い歴史をもつフランスのチェンバロ製作の伝統と訣別し、それ以後はルッカースの方式でチェンバロを作るようになった。他のチェンバロ製作家たちも皆これに倣ったのである。このようにして、ルッカース・グラン・ラヴァルマンは、18世紀パリ様式のチェンバロのオリジンであると共に理想ともなったのである。17世紀末までの伝統的なフランスの工法は、18世紀になると、リヨンを中心に、フランス中南部で辛うじて生き延びたに過ぎなかった。
 このディスクの録音に使われたアンソニー・サイデイのチェンバロのモデルとなった楽器は、アンドレアス・ルッカースが1636年に製作した一段鍵盤のチェンバロを、18世紀中葉にパリで活躍したドイツ人の製作家アンリ・エムシュが解体して拡大改造したもの(ロンドン郊外、個人蔵)【写真】である。典型的なパリ様式のルッカース・グラン・ラヴァルマンで、上に述べたような特性をもっている。サイデイは1942年に生まれたイギリスの製作家で、最初はヒュー・ゴフの下で研鑽を積み、初期には独自の創意工夫を凝らしたモダン・チェンバロを精力的に製作していたが、パリに長く住むうちに17〜18世紀のオリジナルのチェンバロの魅力にとり憑かれ、最近は綿密なレプリカを長時間かけて作っている。彼が自分の楽器のモデルとして選ぶのは、自ら修復したか或いは自分の工房で丹念に調べ上げた楽器のみである。彼は、単に17〜18世紀のモデルに忠実なだけではなく、オリジナルの楽器の木目の間にまで製作者の製作思想を読みとろうとするような徹底した製作姿勢には、余人の追随を許さないものがある。

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