第7章 金の卵を産んだルッカース 〜18世紀のパリに花開くチェンバロの黄金時代〜
フランスにおけるルッカース一族の工法の継承
ルッカースのチェンバロのプティ・ラヴァルマン(小さな改造)
ルッカースのチェンバロのグラン・ラヴァルマン(大改造)
19世紀ネオ・ロココ・スタイルによる贋物のチェンバロ
製作者の特定とラヴァルマンの手法の解明
チェンバロ王国フランス
シノワズリー(中国風装飾)
チェンバロ王国の黄昏
第8章 バッハの鍵盤楽器
バッハとクラヴィコード
バッハの時代のクラヴィコード
チェンバル・ダムールとラウテンヴェルク
バッハの遺産目録
バッハのチェンバロの音域
「バッハ・チェンバロ」と呼ばれる楽器
バッハとチェンバロ
バッハとピアノ
パンタレオン=演奏会用ダルシマー
シュレーターの主張
ジルバーマンによる鍵盤付パンタレオンの開発
バッハのクラヴィーア協奏曲=ピアノ協奏曲?
ジルバーマンのピアノ
再び、バッハとピアノ
<付論>フランス様式のチェンバロで弾いたバッハ
第9章 バッハの息子たちとクラヴィコードの時代 〜チェンバロとピアノの狭間で〜
チェンバロとピアノの距離
C・P・E・バッハと『正しいクラヴィーア奏法』(1753/62年)
多感様式と「疾風怒濤」
C・P・E・バッハの演奏と彼のジルバーマン・クラヴィコード
クラヴィコードの時代
C・P・E・バッハとフォルテピアノ
ドイツにおけるターフェルクラヴィーア
ハイドンとクラヴィコード
ロンドンのバッハ
イギリス・ピアノの黎明期とズンペのスクウェア・ピアノ
ハイドン、グルック、パイジエッロの肖像画
バッカースによるイギリス式グランドの開発
ブロードウッドと彼のライヴァルたち
第10章 モーツァルトの鍵盤楽器
シュタインのピアノとの出遭い
シュタインによる「ウィーン式アクション」の開発
ヴィザヴィ・フリューゲルをめぐって
モーツァルトのチェンバロとクラヴィコード
ミュンヘンとザルツブルクのピアノ
マンハイム=パリ旅行
モーツァルト一家の肖像画
ヴァルターとの出遭い
モーツァルトのヴァルター・ピアノ
オーセンティシティの問題
モーツァルトのペダル・クラヴィーア
モーツァルトのピリオド楽器を求めて
ホフマンのピアノ
モーツァルトのピアノ音楽の変化
第11章 ベートーヴェンのピアノ
ベートーヴェンのピアノ
1790年代におけるウィーンのピアノ製作家
シュタインのザイテンハルモニカ
ヴァルターとホフマンのピアノの変化
ハイドンとフォルテピアノ
ナネッテ・シュトライヒャーの登場
「表情豊かなチェンバロ」と「音量の大きなクラヴィコード」
ベートーヴェンとシュタインのピアノ
ヴァルターのピアノとベートーヴェンのピアノ音楽(1795?1803年)
ベートーヴェンの演奏
ヴァルターとの不和
エラールのピアノを贈られて(1803?1810年)
シュトライヒャー夫妻の援助の下で(1809-18年)
最後の光芒
第12章 フォルテピアノの演奏様式
現代ピアノのスタイルによるフォルテピアノの演奏
エマヌエル・バッハとテュルク
チェルニーによるテンポ・ルバートとアルペッジョ
ヴェルテ=ミニョンで聴くライネッケとレシェティツキー
パデレフスキーとシュナーベル
破壊された演奏伝統と古楽器の復興
今日の危機を予言したダルベール
フルトヴェングラーの語る「自己完成としての即興演奏」
参考文献と註
資料地図
用語解説
人名索引
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