《チェンバロ・フォルテピアノ》

はじめに


 私が、初めてオリジナルのチェンバロを弾く機会を得たのは、一九七四年七月、エディンバラ大学の楽器博物館に所蔵された、ラッセル・コレクションというチェンバロ、クラヴィコード、フォルテピアノの一大コレクションを訪ねたときのことであった。私は一週間近くのエディンバラ滞在の間、毎日そこへ足を運び、朝から夕方までいろいろなチェンバロを弾きまくった。それはまるで、楽器に遊んでもらっているようなものであった。当時、この博物館の楽器の保守管理の責任者であった修復家の故ジョン・バーンズ氏は、初対面では考えられないような好意をもって、毎日楽器を調律し、それぞれの楽器について説明し、それらの楽器の取り扱いについて有効な助言をして下さった。しかも、彼は、少数ながら貴重な楽器の所有者でもあった。私はそのおよそ一年前からチェンバロを学ぶためにアムステルダムに留学しており、チェンバロの歴史と楽器のタイプ等について、幾らかの知識は持ち合わせていた。しかし、実際に、何百年もの風雪を経たあまたの楽器を前にしてみると、私の生半可な知識などは、ほとんど跡形もなく吹っ飛んでしまった。オリジナルのタスカン(一八世紀フランスの製作者)やドゥルケン(一八世紀フランダースの製作者)は衝撃的であった。それまでに弾いたことのある、現代の製作家によるレプリカ楽器とはおよそ違う音がしたのである。特に一七六九年のタスカン作の二段鍵盤は個性の強い楽器で、未経験な私は、楽器にはね返されるような強い抵抗を感じた。その夏は、日本から来られたチェンバロ製作家の堀榮蔵さんと、エディンバラを皮切りに、ロンドン、パリ、ブリュッセル、アントワープ、ハーグ、ニュルンベルク等の楽器博物館を軒並み見て回ったので、イタリア、フランダース、フランス、イギリス、ドイツなど様々な国の様々な時期における様々な形態のチェンバロをほとんど網羅的に知ることができたのである。

 その後、私は、夏になるとエディンバラに出かけた。二台のタスカンとドゥルケンを弾くたびに、私は、自分自身のチェンバロ奏者としての成長の度合いを確かめることができた。初めのうち、歴史的な名器は私の最上の師であった。チェンバロのタッチ、楽器の響かせ方や音色の変え方など、チェンバロを弾く上で欠かすことのできない重要な感覚と技法を、これらの楽器ほどまざまざと教えてくれるものは他になかった。そのうち、楽器とのしっかりした繋がりが持てるようになって来ると、これらの楽器は、私と共同で音楽を鳴り響かせてくれるこよなき仲間となった。そんな具合であるから、その後も私は、名器を弾ける機会はできる限り逃がさないように心がけた。アメリカへ行った時も、無理をしてでも楽器博物館を訪ねる時間を作ったし、ワシントンへは、ただスミソニアン博物館のためだけに行ったぐらいである。

 フォルテピアノやクラヴィコードを始めたときも、自分がふだん弾いている楽器がある程度自分の思い通りに扱えるようになると、私はヨーロッパの博物館へ出かけては、歴史的な名器にレファランスを求めた。楽器はいまだに私にとっての最高の助言者であり、タッチを直してくれたり、響きについての新しい視点を与えてくれたりする。

 一九九六年の暮れに、文化庁から短期の在外研修員の資格を頂いて、三ヶ月弱の間、ドイツを中心に、楽器博物館と個人蒐集家のコレクションを次から次へと巡って歩いた。懐かしいエディンバラを再び訪れ、今まで行く機会のなかった旧東ドイツの諸都市にも行った。帰国して約半年後、今度は北イタリアで開かれた二年に一度の国際クラヴィコード・シンポジウムに出かけ、その足で、ミラノ、フィレンツェ、ローマを廻った。短期間にまとめて楽器を見たお陰で、古い知識と経験を整理し、数多くの新しい出逢いに胸を弾ませることもたびたびであった。


 この本は、私のこのような経験に基づいて、チェンバロという、清澄な音色と意匠の凝らされた外見をもつこの美しい楽器に関心を持つ読者諸賢を、言うなれば仮想の楽器巡りツアーにお連れし、そしてこの楽器の魅力をできるだけ多角的にお伝えするという、一種のガイドブックの積もりで二年ほど前に書き始められたものである。だから本書は、楽器学の研究書でもなければ、これらの鍵盤楽器の製作方法を詳説した専門書でもない。常に私の念頭を去らなかったのは、楽器と音楽の関わりであるが、そのほかにも、これらの楽器を生み出す背景となった社会との関わりについても説明を試みている。初めのうちは、このように大部のものになるとは予想もしていなかった。しかし、我が国では類書がほとんどないため先ず基本的な事項から押さえねばならず、それに加えて、欧米では、この一〇年ないし一五年の間にこの分野の研究が急速に進み、その成果をまとめた研究書が最近相継いで刊行されたため、そうした新しい情報も盛り込むうちに、本書の内容も膨張の一途を辿ることとなったのである。

 本書のタイトルとしては『Early Keyboard Instruments 1400-1800』という英語のものが最も内容に相応しいのだが、これは日本語になりにくい。Early Keyboard Instrumentsは、日本語では「初期鍵盤楽器」と訳すのが普通だが、これでは抹香臭くてやりきれない。一八世紀においては、「チェンバロ」は、クラヴィコードやフォルテピアノも含めて、有弦鍵盤楽器の総称としても用いられた。従って、この時代の認識では、ピアノは「チェンバロの一種」であった。そうした歴史的用法を踏まえて『チェンバロ』とするのが、これらの鍵盤楽器を包括的に捉えようとする著者のスタンスに最も適合しているのだが、それでは、全体の四割程度がピアノのために割かれているという本書の内容が一般の読者には伝わらないため、結局、『チェンバロ・フォルテピアノ』という線に落ち着いた。タイトルから「クラヴィコード」を外すのは残念であったが、日本語の本の表題としては長くなりすぎてしまうので、やむを得ない選択であった。クラヴィコードを軽視したのでないことは、本文の内容から十分おわかり頂けよう。

 本書の守備範囲は、英文タイトルに示されているように、チェンバロとクラヴィコードがほぼその社会的使命を終える一八〇〇年頃を下限としている。これらの楽器は、その後も一部では使われ続けたにせよ、急速に「全盛期の遺物」と化して行く。その意味では、一八〇〇年を過ぎると、有弦鍵盤楽器においては「ピアノの時代」が始まるのである。そうは言っても、この一八〇〇年頃というのは、ベートーヴェンの創作活動においては、いわゆる「中期」への転換点に当たっているため、一八〇〇年でバッサリ切ってしまうわけにはいかなかった。そこで、この時期以後については、ベートーヴェンが経験したピアノのタイプに対象を絞ることにした。一八二〇年代の初めには、フランスのエラールがダブル・エスケープメント・アクションで特許を取得し、これが今日のピアノのアクションの基となるのだが、それに関しては敢えて詳しくは取り扱わなかった。


 随所に挿入されている図は、本書の中で最も価値の高い部分である。これらの図のほとんどは、私の年来の友人であるチェンバロ製作家の柴田雄康さんにお願いした。アクションの機構や楽器の内部構造を描いた図のほとんどは立体的に書かれている。特に、アクションの図は、これまでの文献では平面的な側面図ばかりで、立体的な図は滅多になく、その点では非常にわかりにくかった。本書では、これらが立体的に描かれているだけでなく、重要な細部の拡大図や、動く部分についてはその動き具合を示す図が、適宜付け加えられており、全体として非常にわかりやすいものになっている。楽器の内部構造を示した図は、遠近法によっていないので、場合によっては少々歪んで見える。遠近法によっていないということは、実際に平行なものは図面上でも平行に書かれているということであり、信頼すべき詳細なデータに基づいた精密な作図がされているので、単なる見取り図よりもはるかに多くの情報を含んでいる。柴田さんは、製作者の目で、実際の楽器や写真・図面などのデータを細かく観察・分析し、たいへんな情熱をもってこの仕事に取り組んで下さった。その結果としての彼の図面は、極めて画期的なものとなったのである。

 楽器の各部の名称については、大部分、英語の用語をそのままカナ表記して用いた。ピアノのアクション(発音機構)の方式などについては、ドイツ語の用語が世界的に通用しているので、それに従った。この本を書くまでは――書き終わった今とて変わりはないが――私は、昨今の日本語におけるカタカナ言葉の氾濫を苦々しく思っていた。それが、自ら大量のカタカナ用語を導入するはめになってしまったことは、我ながら遺憾の極みと言わざるを得ない。しかしながら、それぞれの国語には、それぞれの民族の叡智が集約されており、楽器の部分や部品の名称などにも、意味がわかると「なるほど、うまいことを言うものだ」と感心するものが少なくない。たとえば、チェンバロの鍵盤の左側にある直線の長い部分を英語で「スパイン」というが、これは背骨という意味である。これを単純に「背骨」と訳してみても意味を為さない。私の浅知恵で適当な用語を拵えたのでは、後々、英語の文献に当たられるかも知れない向学の徒にも、欧米の楽器博物館を見学されるかも知れない音楽ファンの方々にも、本来の英語の用語がわからなくなってご迷惑をかけるだろうと思うと、今日の国際語で、かつ楽器関係の文献の圧倒的に多い英語の用語をそのまま用いるのが得策であるように思われたのである。日常、コンピューター用語などのわかりにくさに辟易しながらも、もしこれを全部日本語に訳したら、もとの英語がわからなくてなって困るのだろう、と常々思っていたが、楽器の用語についても全く同じことが言えるのである。

 人名や地名などの固有名詞については、原則的には今日の一般的な表記方法に従ったが、長音の表記に関しては必ずしも発音記号には従っていない。結局のところ、カナ表記とは日本語化するということであり、原語の発音を忠実に示すことは逆立ちしても叶わない。だから、最終的には日本語として受け容れやすい形にするのが最も賢明であるように思われる。ドイツ語のwは原則として濁音にしたが、「ウィーン」に関しては、この形が広く受け容れられているので、濁点を付けなかった。

 ラテン語の語句や人名については、古典ラテン語の読み方には従わなかった。本書に登場するラテン語の楽器に関する用語は、ほとんどが近世以降の造語であり、イタリア語あるいはドイツ語ふうの読み方に従うのが適当と思われた。その方が、他の用語との関連がはっきり認識できるからである。楽器製作者や作曲家の名前についても同様である。

 生国を離れて外国で活躍した製作家の名前の読み方は、それぞれの土地での呼び方に従った。例えば、一八世紀のロンドンで活躍したドイツ生まれのピアノ製作家であるヨハネス・ツンペは、ジョン・ズンペとした。その他の製作家たちについても同様である。これらの製作家たちは、工房を開いた土地に根を下ろし、その地の音楽文化に貢献することが大であった。他方、音楽家や学者、画家などについては、現代の日本における一般的な呼び方に従った。原綴は、巻末の「人名索引」に、生没年(不明な場合は活動年代)と共に示した。

 「参考文献と註」は、最後の段階で最も苦労した部分である。註が多すぎて、読んでいる最中にあまりにも頻繁に註と本文の間をいったり来たりしなければならないのはたいへん煩わしいものだが、註は、記述内容の情報価値を判断するための有力な材料である。それが少なすぎては、研究者の役には立たない。そこで、作曲家に関わる部分にはできるだけ細かい註を入れるように配慮した。それらのほとんどは情報の出典を示している。楽器に関しては、各章ごとに、その章の内容に関する主要な参考文献を掲げ、重要な文献についてはその内容の概略を示した。本文中の説明がそれらの参考文献によっている場合については、いちいち註を付けなかった。また、各楽器の説明について、それらが、各博物館の発行しているカタログに載っている場合も、註の対象とはしなかった。また、楽器製作家については、主要な「楽器作者名鑑」の類を参考文献として掲げ、それらに含まれている内容についても註の対象から除外した。

 巻末の「用語解説」には本文中で触れた楽器と調律法についての用語を網羅した積もりだが、音楽用語についてはこれに含めなかった。この用語集においては、本文中で詳しく説明した項目についてはできるだけ簡略なものとし、反対に、本文中で触れなかったり十分な説明のできなかったものについては、やや詳しく説明するよう心がけた。

 先にも触れたように、チェンバロやクラヴィコード、フォルテピアノなどについての、近年の研究の進展には目覚ましいものがある。ということは、従来この分野を取り扱ったものは、それだけ、訂正あるいは補完される必要のある記述を含んでいるということである。最近の論文等の中にも、著しい偏見や先入主にとらわれた見解が表明されているものもある。また、演奏の現場においては、事実に反するあるいはかけ離れた認識が通用したりしている。これらのうちで特に重要と思われるものについては、率直に私の見解を表明させて頂いた。私自身の記述についても、もし誤りがあれば、忌憚なくご指摘頂きたい。正しい知識は、それ自体、価値のあるものである。その一方、私自身の主観を表明した箇所も多々ある。それについては、客観的に記述した部分と一線を画するよう配慮した積もりであるが、その点が明瞭でない部分があったとすれば、それは私の本位ではない。私の場合、演奏家の目で楽器を見、自由な主観を最大限に働かせるよう努めている。正しい知識はそれを修正し、より大きな自由を獲得するためのものだというのが私のモットーである。

 チェンバロの装飾についても一言述べておきたい。チェンバロを沢山見て行くと、楽器の視覚的要素も大きな関心の対象になる。チェンバロは、かなり小さなタイプのものでも、一人で簡単に動かすというわけにはいかない。従って、家具として美しく見えるための工夫が凝らされることになる。脚は、同時代の家具の様式で作られ、蓋の裏や楽器の外側は、油絵や唐草模様・幾何学模様などで美しく装飾されている。印刷された紙を貼る、というような、一風変った装飾様式もあるし、漆器のスタイルを模して中国風の絵が描かれているものも少なくない。フランダースやフランスのチェンバロでは、響板に花の絵が描かれたものが多いが、その様式がフランダースとフランスでは大きく異なっている。また、フランダースのチェンバロの鍵盤の色は現代のピアノと同じだが、フランスのチェンバロでは黒白が逆になる。そうなったのには立派な理由がある。だから、楽器としても家具としても優れた美しいチェンバロからは、それが製作された時代が見えて来る。私も、最初の頃は、名器のあるところへ行っては弾くことだけに熱中していたが、そのうち眺めるのも楽しくなった。今では、音の出せない楽器の前で長い時間を費やすことも珍しくない。

 ところが、この装飾というのは、実は私の最も不得手な分野である。私の、美術についての素養と知識の欠如は、全くお恥ずかしい限りなのである。従って、当初、私はこの部分についてはほとんど逃げ腰であった。しかし、本書を書き進むうち、「音」について言葉で語ることに隔靴掻痒のもどかしさと形容しがたい苛立ちを覚えることが再三に及ぶと、言葉で比較的語りやすい視覚的な部分については、何としても書かずに済ますわけにはいかない、との思いを強くし、我が身の無知を省みずに説明を試みたのである。そんなわけで、この領域における私の不行き届きに関しては、読者の寛容にすがるほかはない。


 本書ができ上がるまでにお世話になった大勢の方々に、御礼を申し上げたい。先ず、私の鍵盤楽器についての知識は、その最も基本的な部分を、堀榮蔵さんと故ジョン・バーンズ氏に負っている。堀さんは、わが国におけるチェンバロ製作の草分けで、三〇年余りにわたって厖大な数の楽器を製作されたほか、古楽器奏者の演奏活動に対しても多大な協力を惜しまなかった。日本の古楽界の今日は、堀さんのご尽力なしには考えられないものである。また、私の古くからの友人であるチェンバロ製作家の横田誠三さん、本書のために図面を書いて下さった柴田さん、音楽学者の市川信一郎さんとは、長年にわたり、楽器についての様々な意見を交換し合ってきた。音楽学者の海老澤敏氏は、私がモーツァルトのピアノに触れる機会が得られるよう力を尽くして下さり、小林義武氏からは、バッハの遺産分配に関する資料をご教示いただいた。ピアノ修復家の山本宣夫氏には、クリストフォリのピアノのレプリカとその他の貴重な蒐集楽器を見せて頂いた。また、楽器の所在や状態、研究・修復の情況について数多くの貴重な情報を提供し、個人蒐集家や博物館を案内して下さった、楽器学者のマイケル・ラッチャム、チェンバロ製作家のマルク・デュコルネ、フォルテピアノ修復家のロバート・ブラウンの諸氏。楽器蒐集家のヤニック・ギユウ氏とマダム・ジュリーニ、オルガン奏者のルイージ・フェルディナンド・タリアヴィーニ氏およびその他の方々。楽器研究家のリチャード・モーンダー、クラヴィコード製作家のトーマス・シュタイナー、フォルテピアノ修復家で蒐集家のエドウィン・ベウンクの諸氏。そして、貴重な時間を割いて下さった、ニュルンベルクのゲルマン博物館、ハンブルクの歴史博物館と美術工芸博物館、ライプツィヒ大学楽器博物館、ハレのヘンデル・ハウス、ベルリンの楽器博物館、シュトゥットガルトのヴュルテンベルク州立博物館、アウクスブルクのモーツァルト博物館、ミュンヘンの市立博物館とドイツ博物館、バート・クロツィンゲンのノイマイヤー・コレクション、バーゼルのスコラ・カントルム、ザルツブルク・モーツァルテウム、ウィーンの芸術史博物館、フィレンツェのABC(アカデミア・バルトロメオ・クリストフォリ)、ローマの楽器博物館、ロンドンの王立音楽院、ブリュッセルの楽器博物館などの関係者およびスタッフの方々にも衷心より御礼申し上げる。

 東京書籍編集部の鳥谷健一さんには多大なご苦労をかけた。日本にはチェンバロやクラヴィコードなどの鍵盤楽器の歴史を扱った本がほとんどない、ということで、鳥谷さんに相談を持ちかけたところから、本書の企画はスタートした。初めに私が考えていたのは、図版を中心とした、いわば「見る本」であり、文字中心の「読む本」を書く自信はまったくなかったのだが、このような形で完成させることができたのは、鳥谷さんの助言と激励のおかげである。「用語解説」と「人名索引」の作成では、桐朋学園大学古楽器科でチェンバロを勉強されている有橋淑和、及川れいね、村上暁美、渡邊孝の諸君に手伝っていただいた。また、執筆途中で書き上げたばかりの原稿を読み、あるいは内容の話に付き合っていただいて、様々な感想や激励の言葉を寄せて下さった友人や学生の皆さんにも、心からの謝意を表したい。

2000年7月15日  横浜にて       渡邊順生

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