レコード芸術2004年2月号
こだわりベスト3
(私の選んだ3枚のディスク)
●ベートーヴェン:交響曲第1番/第3番『英雄』他
フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル
<録音:1952-11-30ライヴ>
[Tahra FURT-1076〜77](2枚組)
●ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番『春』/第10番他
シゲティ(vn) シュナーベル(pf)
<録音:1948-4-4ライヴ>
[Pearl GEMM CD 9026]
●ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲『大公』他
ティボー(vn) コルトー(pf) カザルス(vc)
<録音:1926〜29>
[EMI CHS 7 64057 2](3枚組)
ベートーヴェンの作品に絞って選んだ3点のディスクだが、戦前の演奏家たちのものばかりになったのは、単にノスタルジックな興味からだけではなく、将来に目を据えてのことである。第一次世界大戦前後からの、「楽譜に忠実」をスローガンにしたいわゆる「ノイエ・ザハリヒカイト」(新即物主義)の運動は、声楽や弦楽器におけるポルタメントやピアノのアルペッジョ奏法、テンポ・ルバートや自由なテンポの緩急など、長年に亘って培われた貴重な演奏手法の伝統を、いわば完膚無きまでに破壊し去ってしまったのだが、ベートーヴェンの時代には、これらの演奏法は既に実践されていたのである。
フルトヴェングラーの『英雄』は、昔から定評のある旧ウラニア盤(1944年の録音)をはじめ、十種類もの録音があるが、ここで挙げた演奏は、集中力、密度の濃さ、精神的な充実度など、あらゆる点で際だった圧倒的な名演だ。ベートーヴェン自身、1817年に「それまでに作曲した8つの交響曲の中でどれが一番好きですか」と問われて「何と言ってもエロイカ」と答えたというが、それは、この曲が後期のベートーヴェンの心情にマッチするものを一番多く含んでいたということである。力強さや劇的な緊張感のみならず、呼吸が深くニュアンスが豊富で大きな広がり感に満ちたこの演奏を聴くと、それもたちどころに納得が行く。この演奏は、従来は劣悪な音質のもののみが知られており、評価も低かったのだが、2002年に初めて、放送局のテープから直接起こした優れた音質のディスクが出て、演奏の素晴らしさが満喫できるようになった。
シュナーベルとシゲティは、「原曲に忠実」をもって鳴らした、どちらかと言えば武骨で、虚飾を張らないゲルマン系の芸術家の見本であり、ベートーヴェンの作品の演奏においては随一の声望を誇った。このディスクは、彼らのライヴの記録としては、滅多にない貴重なものである。『スプリング』と『第10番』は何れも見事だが、私の心を捉えるのは断然後者の方だ。こんなに品格の高い、しかもそれでいて瑞々しい感覚に満ちたこの曲の演奏は、そう滅多に聴けるものではない。
カザルス・トリオの3人のラテン系の演奏家たち、特にティボーとコルトーは、シゲティ/シュナーベルとは正反対のような性格の演奏家である。こちらはライヴではないが、一発勝負のSP録音である。『大公』は比類のない名演だが、カザルス・トリオの全曲セット(3枚組)では、ベートーヴェンのピアノ・トリオの中では最も渋い『カカドゥ変奏曲』も聴けるので嬉しい。コルトーとティボーによる『クロイツェル・ソナタ』も入っていてこれまた素晴らしい。シュナーベルたちとは全くタイプの違う演奏だが、それが優劣つけがたい、というところに、いかにもベートーヴェンという作曲家の懐の深さを改めて感じさせられる。
以上、20世紀前半の、最も典型的かつ個性的なベートーヴェン演奏をご紹介したわけだが、一つ心残りだったのは、ヴァイオリンでベートーヴェンを弾かせたら最高、という、フリッツ・クライスラーのディスクをここに含めることが出来なかったことだ。協奏曲では、オーケストラの部分がフルトヴェングラーのものとは比較にならないし、ソナタの方は、ピアニストとの打々発止が聴かれない、というわけで仕方なく選に漏れてしまったのだが、敢えて「番外編」として一聴をお薦めしたい。
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