パパゲーノとベートーヴェン
〜アンナー・ビルスマと共演して〜
(1993年[?]の未発表のエッセイ)

 アンナー・ビルスマは、古楽器であるとなしとを問わず、私の最も好きな演奏家の一人 である。彼の弾く3B(バッハ、ボッケリーニ、ベートーヴェン)の素晴らしさ・面白さは誠に筆舌に尽くし難い。彼は、ヴァイタリティと気魄に満ちた演奏をするが、決して大上段に構えるわけではない。常にユーモアとペーソスに富んでいて、いかにも彼らしい人格の広がりを感じさせるところに、ビルスマのチェロの真髄がある。どんなに重大な内容を含んだ演奏をしても、客席を感動で包む時にも、彼の演奏は聴き手の心を軽くしてくれる。彼の演奏を聴くと元気になる。これは余人の出来る技ではない。彼はこれまでの5度にわたる来日で日本の聴衆にもすっかりお馴染みになったが、私も度々彼と共演する機会に恵まれた。中でも私が強烈なインパクトを与えられたのはベートーヴェンである。ボッケリーニのチェロ・ソナタの通奏低音パートや、彼の編曲によるバッハのヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタのオブリガート・チェンバロのパートに比べると、ベートーヴェンのソナタや変奏曲のピアノ・パートは、数段難しくてやりがいのあるパートだが、それだけではない。ビルスマのベートーヴェンは、良くも悪くも『クラシック音楽』の伝統的なトレード・マークであるベートーヴェンの謹厳なる「しかめっ面」のイメージを根底から覆してしまったのである。

 モーツァルト・イヤーに因んだ室内楽演奏会(モーツァルトの2曲のピアノ四重奏曲の間に、ベートーヴェンの、チェロとピアノのための『魔笛』の主題による12の変奏曲と、同じく7つの変奏曲を挟んだプログラム)の冒頭で、彼は、実に興味深いスピーチを行なった。曰く『今夜の演奏曲目はすべて15〜16年の間に、しかも同じウィーンという町で書かれた作品ばかりですが、にも拘らず、モーツァルトのピアノ四重奏曲とベートーヴェンの変奏曲の間には非常に大きな隔たりがあります。モーツァルトとベートーヴェンの違いを言葉で表現するのは大変に難しいことですが、音楽を聴けばその違いは誰にでも解るでしょう。ベートーヴェンの音楽は、モーツァルトに比べると、うんと新しい。この二人はそんなに年齢がかけ離れているわけではなくて、もし、モーツァルトが現代人の平均寿命ぐらいまで生きたとしたら、ベートーヴェンが死んだ時にはまだ71歳にしかなっていないわけです。ところがこの二人の音楽の違いというのは、例えば、モーツァルトがそれぞれの作品をどういう気分で作曲したかということはよくわかりませんが、ベートーヴェンがどんな気分で作曲したかについてはその作品を聴けばたちどころに明らかなものとなる、というくらい違うのです。このような違いは、二人の気質の違いという以上に、その間に起こった「フランス革命」という歴史上の大事件によるものです。皆さんもよくご承知の様に、「フランス革命」は「自由・平等・博愛」をモットーとしていました。これはベートーヴェンの音楽を考える上では極めて重要なことです。』「博愛」とは、「同胞愛=拡大された兄弟愛=無数の人々との連帯感」の意である。『ベートーヴェンにとっての博愛・平等とは、つまり、彼自身が金槌で自分の手を間違えて殴って痛いなら、他の全ての人々もやはり金槌で自分の手を殴ったら同じように痛い、というようなことです。』ここがビルスマ流たとえ話の可笑しいところだ。満場爆笑。『従って、自分の悲しみや痛みは他の多くの人々にとっても悲しみや痛みとなり得るし、自分の歓びは他の人々にも歓びとなる。そこに、ベートーヴェンの音楽のベートーヴェンたる所以があるのです。』ベートーヴェンは、18世紀以前の作曲家達のように客体化された情緒を表現するのではなく、さりとてロマン派の作曲家達のように主観性の枠の中に閉じ篭ってしまうこともない。彼の音楽は、自らの感情に深く根差しながらそれを普遍化し、万人に伝えようとしたものである。『今ここに、モーツァルトの作曲した2つのアリアがあります。モーツァルトならではの美しいメロディーです。両方とも『魔笛』の中でパパゲーノによって歌われるものです。パパゲーノは、御存じのように、鳥を捕まえることを生業(ナリワイ)としている身分の卑しい人間ですが、モーツァルトはこの人物を単純でとても魅力的な人間として描いています。ベートーヴェンは、この2つのアリアを主題とした2曲の変奏曲を、自分自身がパパゲーノになりきって書いています。彼にとっては、王様でも貴族でもないこのパパゲーノという人物は、一般大衆の代表であり、それ故に全ての人々の共感を得ることのできる存在なのです。』「なるほどそうだったのか」とピンと来た。これらの変奏曲はモーツァルトの旋律に依っていながらどうしてこうもベートーヴェン的なのだろうかと、私は秘かに首を傾げていたからである。

 世の多くのベートーヴェン演奏には、「運命は斯く扉を叩く」だとか「苦悩を突き抜けて歓喜に到る」というような一面的な先入見にとらわれたものが圧倒的に多い。特に「彼は一生涯、苦悩の十字架を背負って苦渋の人生を歩み、その人生の黄昏時に遂に歓喜に到り、それを万人に分かち与えた」という、言ってみれば「ベートーヴェン=万人の倫理規範」或は「救世主」の風貌さえもった19世紀風のベートーヴェン像は、「生涯あどけない神童であった」というモーツァルト像と同じくらい滑稽な「作り物」であるだけでなく、今日の聴衆に一種のアレルギーを催させるという点では一層有害である。そのような解釈から出てくるベートーヴェン演奏は、ただ徒らに重苦しく、あるいは喧しくて聴き手をうんざりさせる。最近とみに「ベートーヴェンはもうたくさん」と言う人が増えているそうだが無理からぬことである。私のクラシック遍歴は、ベートーヴェンの交響曲を聴くことから始まったが、退屈な演奏を聴き過ぎたせいか、5〜6年もするとかなり頑強な反ベートーヴェン派になってしまった。そんな私に再びベートーヴェンの音楽の面白さを教えてくれたのは、コンセルトヘボウを振ったバーンスタインの『第二』と『エロイカ』の演奏だった。

 かつてある雑誌から、ビルスマのインタヴュー記事を依頼された時のことである。彼が「僕はね、ボッケリーニの次にベートーヴェンと肌が合うんだよ」と言い出した。

 「ベートーヴェンの魅力はね、弱音にあるんだ。」指を一本出してそう言った。私は、丁度フォルテピアノに取り組み始めたところだったので、彼のその言葉を手掛かりにベートーヴェンの楽譜を眺め直してみて、何とpとppの多いことかと驚いたものである。そうしたベートーヴェンの指示を忠実に守った演奏が少ないのは、ベートーヴェン自身が弱音に対して抱いていた強烈な思い入れがよく理解されていないからにほかならない。特に、フォルテピアノをはじめとする張力の緩い古楽器で弾くベートーヴェンの弱音は限りない陰翳に富んでいて誠に魅力的なのである。確かにベートーヴェンの音楽は随所に様々なアクセントがあり、それが強いインパクトを与える。クレッシェンドやf、ffは劇的であり、感動的でもある。しかし、ベートーヴェンの多くの作品において、強音の占める割合はたかだか全体の1割から2割程度に過ぎない。

 弱音の部分には、何種類かの典型的なパターンがある。1つは、ベートーヴェンの作品を2〜3曲でも聴いたことのある人なら誰もが知っている、速い楽章に顕著な無窮動的な動きで、聴く者の焦燥感を煽り立てる。常にそこに無いなにものかを求めている満たされないベートーヴェンの姿がそこにある。もう1つは、いかにも心の大きな広がりを感じさせる緩やかな旋律的な部分である。このような部分は比類なく優美で、こういうところを聴くと、日頃の気難しい表情の奥に、彼がいかに寛大な心と豊かな人間性を持っていたかがよく解る。しかし、ベートーヴェンはいつも自分をこのように素直にストレートに表現するとは限らない。こうした要素を一捻りすると、それはユーモアとなり、往々にしてシニックにすらなる。そんな時には、旋律は小刻みなユーモラスな音型の繰り返しとなったり、跳躍が多く現われたりする。同じ音型がやがてfで現われた時、それは単なるユーモアやシニックの域を超えて、腹の底からの大哄笑となるのである。ベートーヴェンは往々にして自分自身をジョークにした。こうしたベートーヴェンの音楽に於けるコミカルな要素は、常に自分自身を含めたあらゆる対象をある程度の距離を置いて客観的に眺めようとする、彼の優れた洞察力の顕われでもある。19世紀の偏ったベートーヴェン解釈は、故意に彼の音楽のコミカルな要素を無視し、黙殺し、あるいはもっと悪いことにそれをシリアスな方向に歪曲しようとした。19世紀のロマン的な価値観からすれば、そうしたコミカルな要素は「楽聖」には相応しくなかったのである。こうした見方が、現在もなおベートーヴェンの正当な理解を妨げていることは言うまでもない。最後の1つは、自然なり宇宙なりの情景を思わせる、ベートーヴェンの音楽の中の人間臭さから隔絶した部分である。ビルスマが弾くベートーヴェンの第2番や第4番のソナタの緩くりした部分は、天地縹渺の間に唯独り佇んでいるかのような、人間の本源的孤独が現われていた。その孤独の中で、ベートーヴェンは宇宙と自然とを友としていたのである。

 さて、パパゲーノである。この何の変哲もない、勇敢でもなく忍耐強くもないただの善人をベートーヴェンはこよなく愛したようである。しかしパパゲーノはただの三枚目の道化であるわけではない。彼は単純だが、素直で優しい心の持ち主である。自分で考える頭もある。高邁な理想に共鳴する心もある。しかも彼の後ろ姿には人間の「哀しみ」が宿っている。パパゲーノは普通の人だから誰でも共感出来る。自分自身をジョークにするパパゲーノをベートーヴェンはどれほどの共感をもって眺めたことであろう。そして、理想主義者であるベートーヴェンは普通の人であるパパゲーノにどれほどの憧れを感じたことであろう。普通の人であるパパゲーノはモーツァルトのオペラでは遂に主人公にはなれなかったが、普通の人であるが故にベートーヴェンの音楽の中では紛れもない主人公となったのである。パパゲーノに共感はしてもパパゲーノにはなれないベートーヴェンが、2曲の『パパゲーノ変奏曲』では、パパゲーノになりきろうと頑張っている。その結果として、いつの間にかベートーヴェンは、パパゲーノを自分の理念や理想の伝道者に造り変えてしまっている。そこが何とも面白い。

 ビルスマの弾くベートーヴェンには、それがパパゲーノ変奏曲ではなく、ソナタの2番であっても3番であっても4番であっても、随所にパパゲーノがいる。ビルスマのベートーヴェンの面白さの秘訣はそこにある。そのパパゲーノは、勿論ベートーヴェンの造り変えたパパゲーノである。パパゲーノに対しては誰一人として警戒心を抱く者はいない。人はパパゲーノのユーモアにクスクス笑い、パパゲーノの優しさにうっとりとする。そうやってパパゲーノは人々の心を完全に掴んでしまう。そうなれば人はもうパパゲーノの思いのままである。パパゲーノの後ろにはベートーヴェンがいるから、人々はもう昂揚し感動する以外に為す術がない。

 ビルスマという人は、バロック・チェロを弾こうと、モダン・チェロを弾こうと、世界一のチェロの名人と言ってもよいだろう。そのレパートリーは17世紀初頭のイタリアから現代曲に及び、欧米では、モダン・チェロを弾いてオーケストラをバックに協奏曲を演奏 する機会も多い。彼は「インテリの古楽器奏者」とは縁が無い。スケールの大きな型破りの演奏家である。無尽蔵ともいえる音楽的アイデアと無類のテクニックの持ち主であるが、舞台裏のビルスマは誠に愉快な人物で冗談の絶え間がない。彼の言葉は常に優しく思いやりに溢れているが、時として、鋭い観察眼と深い洞察力から物事の本質を衝いてくる。そんな時でも彼は決して「レクチャー」はしない。いつも面白い譬え話で相手の想像力に訴えて来る。

 前回の彼の来日の際に彼と演奏旅行を共にしているうち、私には、彼とパパゲーノとベートーヴェンのイメージがオーヴァラップして来た。ビルスマはもうベートーヴェンにとり憑かれたようになっていて、何をしていても何処へ行っても出てくるのはベートー ヴェンの話ばかり。ある時車を急いで走らせていたら「ねえヨシオ、ベートーヴェンが自動車を運転したとしたら、どんな運転をしただろう?」「そりゃあもうカミカゼみたいな運転じゃない?」「アレグロ・モルト・コン・ブリオだからね」などと愚にもつかない会話になったが、もしベートーヴェンがビルスマに会ったら何と言っただろう。「私は君のような演奏家に会いたかったんだよ」とか君ほど私の作品に相応しい演奏家はほかにはいないよ」などと言わなかったとも限らない。最近、オリジナル楽器によるベートーヴェンの演奏が盛んになって来て、特にフランス・ブリュッヘンと十八世紀オーケストラなど、今までのベートーヴェンのイメージを一新するような斬新な演奏を聴かせてくれるものも散見されるようになって来たが、ビルスマほどベートーヴェンの音楽の内奥深く踏み込んで、ベートーヴェンの人間性の大きさを興奮と共に味わわせてくれる演奏家は他にはいない。

 世界的なベートーヴェン人気の低下に口惜しい想いをしているのは私だけではないだろうが、考えようによっては、それはそんなに悪いことではない。人々が既成のイメージに満足している間は、得てして新しい真実は受け容れられないものだからだ。ビルスマのような、ベートーヴェンのありのままの素顔を描いて見せるような演奏に接すれば、人々はベートーヴェンに対して改めて驚きの目を瞠るに違いない。ひととひととの繋がりについて、ひとと自然との関わりについて、ベートーヴェンほど多くを呈示している作曲家は他にはいないだろう。彼の音楽の中には、人々の間の紐帯が失われ、地球規模の環境破壊が人類と自然との共存を脅かしている現代の社会が最も必要としているメッセージが満ち溢れているのである。

[完]

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