ベートーヴェンよりヨハン・アンドレアス・シュトライヒャーに[ウィーン,1810-07-27の少し前]


 親愛なるS(シュトライヒャー),
 どうしようもない。君の店の入口に近いドアのそばにあるピアノフォルテが耳のなかで鳴り続けている。この楽器を選んだことに私は感謝されるべきだと確信している。だからそれを送ってくれ。もしもその楽器が,君の意図したよりも重いとしても,我々はこの問題を容易に解決できるだろう。

〈児島新・前掲書及びメルヴィル・前掲論文より渡邊順生・補〉




 
ベートーヴェンよりヨハン・アンドレアス・シュトライヒャーに[1810-05-06]


 ・・・しかし,僕が君に頼みたいのは,楽器がそんなに早く疲労してしまわないように保証して欲しいということだ。僕が持っていた君の楽器を見て,君もそれがひどく疲労してしまったことを認めないわけには行くまい。僕は,他の人からも同じような意見をしばしば耳にするのだ。君も知ってのとおり,僕の唯一の目的は良い楽器の生産を促進することにあるのだ。それだけだ。言い換えれば,僕は完全に公平だ。だから,君は事実を告げられたことを不愉快に思わないでくれたまえ。

(渡邊順生・訳)〈メルヴィル・前掲論文〉




 
ベートーヴェンよりヨハン・アンドレアス・シュトライヒャーに[バーデン,1810-09-18]


 親愛なるシュトライヒャー!
 僕は十月の初めまでにはまたウィーンに戻ることになるだろう。そこで,また君のピアノを貸してもらえるかどうか知らせてほしい。
 僕のフランス製のピアノはもうあまり役には立たない。事実,もうこれはほとんど使用に堪えないのだ。多分君は,この楽器の安住の地を見出すについて,有益な助言をしてくれることだろう。

(渡邊順生・訳)〈メルヴィル・前掲論文〉




 
ベートーヴェンよりヨハン・アンドレアス・シュトライヒャーに[ウィーン,1810年11月中旬]


 親愛なるシュトライヒャー!
 君は十月の末までにピアノを貸してくれる約束だったのに,まだ僕がそれを受け取らないうちに十一月ももう半分が過ぎ去ってしまった。僕のモットーは,良い楽器を弾くか,もしくは全然弾かないかのどちらかだ。僕のフランスピアノは知っての通りろくに使い物にならないので,僕はこれを売ってしまうかどうか心を痛めている。何故なら,この楽器は,この地で僕が受けた試しがないほどの尊敬の念の記念品なのだ。
 脚の具合が悪くて僕はまだあまり遠くまで歩けないのだが,もし君がこれ以上僕を待たせるようなら,僕は恐ろしい調子で君の屋敷に侵入し,君に疫病をもたらすだろう。−きたないインクのしみを付けてしまったことを許してくれ給え。
 引越し屋に関してだが,僕が君の楽器を借りている間に楽器に何らかの損傷が加わった場合には−僕の家中の状態如何によってはそれは十分に起こり得ることだが−遠慮なく僕に知らせてくれ給え。もちろん僕は,君の被ったどんな損害をも完全に弁償したいと思っているのだから。
 ピアノフォルテを送ってくれるなら,全ての善き願いをこめて,
 送ってくれないなら,全ての悪しき願いをこめて,
君の友なるベートーヴェン
P.S. ところで,僕の家は今は良い状態なので,君の楽器には何の損傷も起こらないだろう。

(渡邊順生・訳)〈メルヴィル・前掲論文〉




 
1813年に・・・
ベートーヴェンよりマテウス・アンドレアス・シュタインに[1813年5月初頭]


 1813年に,我々はベートーヴェンが彼のピアノをバーデンに持って行く前に,修理乃至調整を欲していたことを見出すのであるが,ほぼ明らかなのは,シュタインがウィーンの仕事場にそのピアノを保管していたこと,従ってベートーヴェンにバーデンでは別のピアノを借りるように勧めていたことである。しかし ・・・
ベートーヴェンよりマテウス・アンドレアス・シュタインに[1813年5月初頭]
 親愛なるシュタイン!
 バーデンでは惨めなピアノに一月三十四グルデンもとられるのだ。僕の考えでは,それはお金を窓の外に投げ捨てるに等しいことだ。−もし君が,君のところの人間を一人割いてくれるなら,その代償はすぐに取り戻すことが出来るだろう。僕はもちろん彼にはちゃんとした支払いをする積もりだ! 布団を持ってくるのを忘れないように! 布団と藁を敷けば,僕の楽器は,どうにか無事にバーデンまで持って来ることが出来ると思う。君の考えを聴かせてくれ給え・・・

(渡邊順生・訳)〈メルヴィル・前掲論文〉


 
ロンドンのトーマス・ブロードウッドに[ウィーン,1818-02-03]


 最も親愛なる友ブロードウッド
 お贈り下さるピアノが到着する由のお知らせを受け,これ以上の大きな喜びはありません。また,わたしはそれを祭壇とも思い,アポロの神に最も美しい奉納品を捧げる光栄をあなたから与えられたのです。あなたの優れた楽器を手にしましたら,直ちにそれと共にする最初の瞬間に得ました霊感の果実を,わが最も親愛なるB(ブロードウッド)さんへの記念品としてお贈りし,それがあなたの楽器に相応しいものであれかしと心から願う次第です。 わが親愛なる友でもあるあなたは,友でありいとも賤しい召使からの最大の尊敬をお納め下さい。
ルイ* ・ヴァン・ベートーヴェン

〈小松雄一郎・訳編『ベートーヴェン書簡選集』下刊・音楽之友社刊〉

* この手紙はフランス語で書かれている。

 幸運なことに,ロンドンのジョン・ブロードウッド・アンド・サンズ社の社長であったトーマス・ブロードウッドが1817年にウィーンを訪れ,ベートーヴェンの知遇を得,6オクターヴのグランド・ピアノをベートーヴェンに贈ると申し出たのである。ベートーヴェンが,普通の聴力をもった人と同じようにこのピアノの音を聴くことができたかどうかは疑わしいにしても,この極めて困難な時期にこの楽器が彼に大きな刺激を与えたことは疑いがない。ウィーンまでピアノを送るということは,この時代には用意ならざる業であった。この楽器はブリキともみ材の箱で梱包されてトリエステまで船で運ばれ,そこから荷車に移されて360マイルに及ぶ荷馬車街道を馬からばに引かれてアルプスを越えたのである。
 ベートーヴェンはこのピアノが大変気に入って,ほかの誰にも手を触れさせようとしなかった−調律さえもさせなかった!−ロンドンからブロードウッドの紹介状を携えてやって来たシュトゥンプフだけが例外であった。シュトライヒャーが梱包を解いたあと,この楽器を試みたチプリアーニ・ポッターが,ベートーヴェンにこの楽器の調律が狂っている(驚くに当たらないことだが)ことを告げたところ,ベートーヴェンの返事はおおよそ次のようなものであった。「みんながそのように言う。そしてこの楽器を調律し,駄目にしてしまおうとするのだ。誰もこれに触れてはならない。」
このブロードウッドのピアノをベートーヴェンが,彼自身の持っていたほかのどのピアノよりも好んだかどうかについては少々疑問の余地があるが,ベートーヴェンがこの楽器を好んだことは確かで,最後の三つのソナタ,作品109,110,111はこのことの何よりの証左である。

(渡邊順生・訳)〈メルヴィル・前掲論文〉


 
1824年に・・・
〈ヒルト著『鍵盤の名器』 Urs Graf Verlag, Zurich 1981 〉


 1824年にロンドンのハープ製作者ヨハン・シュトゥンプフがベートーヴェンを訪問した折り,ベートーヴェンは,力強く効果的な演奏が出来ないピアノの不完全さについて苦々しげに不満を漏らし,彼のブロードウッドを見せた。「何という光景だったろう」とシュトゥンプフは書いている。「高音部には何の音も残っていなかった。楽器の中には切れた弦が重なり合っており,それはまさに雷でなぎ倒された薮を見る思いであった。」

(渡邊順生・訳)〈ヒルト著『鍵盤の名器』 Urs Graf Verlag, Zurich 1981 〉



フォルテピアノ

フォルテピアノ書簡集

渡邊順生著『チェンバロ・フォルテピアノ』

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