シェーンフェルトの『ウィーン・プラーグ音楽年鑑』[1796]


 (シュタインとヴァルターはピアノ製造においてそれぞれ異なった方向を代表していた。)ヴァルターのピアノフォルテは大きな響き,タッチの重みと強くて十分な低音を持つ。最初のうち音色は少し鈍いが,しばらく弾いていると,特に高音域が澄んだ音になる。

〈児島新・著『ベートーヴェン研究』春秋社刊〉


 
アントン・ヴァルターとハイドン,モーツァルト,ベートーヴェン


 ベートーヴェンが特定のピアノ製作者に対する好みを最初に表明しているのは,アントン・ヴァルターについてである。彼は明らかに,この製作者の楽器を極めて高く評価していた。それは,他の製作者たちからは無償で楽器の寄贈を受けられたベートーヴェンがヴァルターに対しては代金を支払ってもよいと言っていることからも知られる。モーツァルトがヴァルターの楽器を好んだことも確かである。ヨーゼフ・ハイドンは,ヨハン・シャンツの方を好み,アントン・ヴァルターについては,高価なうえに,良い楽器は十台のうち一台ぐらいしかないと述べている。

(渡邊順生・訳)〈メルヴィル著『ベートーヴェンのピアノ』〜 The Beethoven Companion, Faber, London 1971〉


 
ベートーヴェンよりヨハン・アンドレアス・シュトライヒャーに[ウィーン,1796-11-19]


 親愛なるシュトライヒャー!
昨日君のフォルテピアノを受け取った。実に素晴らしい楽器だ。他の人であれば決して手放そうなどとは思わないだろう。しかし僕は−君は大笑いするかも知れないが−この楽器は僕には良すぎるという僕の意見,そしてその理由を伝えないと,君を欺くことになるだろう。その理由というのは,僕自身の音を作る自由を僕から奪ってしまうからなのだ。しかし,勿論これは,君が君のフォルテピアノを同じ方法で作り続けることを妨げようとするものではない。何故なら,僕の気まぐれに同調するような人がほとんどいないということは,疑いのないことだから。・・・(中略)・・・
わざわざ手紙に書いて君の注意をひくまでもなく,僕が,君の楽器の美質がこの国及び全ての国々で認められることを心から願っていることに,君が満足してくれていることを確信している。

(渡邊順生・訳)〈メルヴィル・前掲論文〉


 
ベートーヴェンよりヨハン・アンドレアス・シュトライヒャーに[ウィーン,1796年]


 親愛なるSt(シュトライヒャー)よ,僕が自分のトリオをきいて満足したのは正直に言ってこれが初めてのことだ。また,実際この経験から,僕はこれまで以上にピアノフォルテのための曲を作ろうと決心した。たとえ,僕を理解する人がごく僅かしかいないとしても,僕は満足だ。演奏の仕方という点に関する限り,ピアノフォルテがあらゆる楽器の中で最も研究が遅れ,未発達であるということは疑いない。ピアノとハープを聴き間違うというようなことはしばしばだ。君が,人が音楽を感じ,またピアノフォルテを歌わせることができるようなお膳立てを実現でき,またそれを感じ取れる数少ない人々の一人であることは,僕にとっても嬉しいことだ。ハープとピアノフォルテが全く異なる二つの楽器として扱われる日が来ることを僕は望んでいる。

(渡邊順生・訳)〈メルヴィル・前掲論文〉


 
ジュリエッタ・グィッチャルディがオット・ヤーンの質問に答えて語る* [1852年]


 ベートーヴェンは彼女(ジュリエッタ)の教師でした。/彼は彼女に自分の作品を弾かせました。そのとき彼は,どんな小さな細かな点も正しく演奏されるまで,底なしに厳格でした。彼は軽い弾き方を尊重しました。/彼はすぐ怒り出し,楽譜を投げとばし,それをひっちゃぶきました。/彼は非常に貧乏だったのに,お金での支払いは受取りませんでした。でも下着は,伯爵令嬢が縫ったということにかこつけて,受取りました。/彼はそんなようにオデスカルキ伯夫人をも,エルトマン男夫人をも,教えました。彼のところは行くこともあり,こちらへ来ることもありました。/彼は自分では自作を弾きたがらず,ファンタジーレンするだけでした。ちょっとでも騒音をたてると彼は,すっと立って,行ってしまいまいした。/ブルンスヴィック伯はヴィオロンチェロを弾きましたが,彼を崇めており,姉妹のテレーゼとダイム伯夫人も同様でした。/ベートーヴェンはグィッチャルディ伯令嬢に,ト長調ロンドを与えたのでしたが,リヒノフスキー伯令嬢(ヘンリエッテ)に何か献呈しなければならなくなったときそのロンドを戻すようにたのみました。そして彼女(ジュリエッタ)にはあとで,あのソナタ[いわゆる月光ソナタ]を献呈したのでした。/ベートーヴェンはとても醜い人でした。けれども高貴で繊細な感受性をもち,教養がありました。/ベートーヴェンはたいがいの場合,貧しい服装をしていました。

〈山根銀二・著『ベートーヴェン研究』未来社刊〉

* これは1801年頃の様子を回顧して述べられている。


 
ベートーヴェンよりニコラウス・ズメシュカル・フォン・ドマノヴェッツに[ウィーン,1802年 11月]


 さて,親愛なるZ(ズメシュカル)よ,君さえよければ,僕の仕事に関わる強力な薬を一服ヴァルターに与えてやってくれ。というのは,先ず,何れにせよ彼はそれに値するのだし,それに加えて,僕とヴァルターの関係が緊迫したものになったと人々が思い始めてこの方,ピアノフォルテを作っている連中が僕の周りに群がっては,僕にサービスしようと躍起になっているのだ−それも無償で。彼らの一人一人が,僕が希望するなら僕にピアノフォルテを作りたがっている。例えば,ライヒャは彼のピアノフォルテの製作者に,彼が僕のために一台作れるように僕を説得するように,熱心に頼まれたというのだ。この製作者は信頼できる製作家の一人で,僕も彼の工房で何台かの優れた楽器を見たことがある。だから,ヴァルターによく理解してもらう必要があるのだが,僕は他の製作者たちからならピアノフォルテを無償で作ってもらえるのに,ヴァルターには30ダカットを支払ってもいいと思っているのだ。但し,それ以上は駄目だ。そして,ケース材はマホガニーというのが僕の条件だ。それに加えて,そのピアノフォルテは弦を一本だけ鳴らすストップ(ウナ・コルダ)を備えていなければならない。もし彼がこの条件に同意しないならば,率直に言ってくれ。僕は誰か他の製作者に頼むだろうし,また後でその製作者をハイドンのところへ連れて行って,彼の楽器をハイドンに見せることになるだろう,とね。

(渡邊順生・訳)〈メルヴィル・前掲論文〉


 
シュトライヒャーよりブライトコプフ・ウント・ヘルテル社に[1805-01-02]


 ベートーヴェンは確かに力強い奏者です。しかし彼は今日まで,パリのエラールから受け取ったピアノフォルテを正しく取り扱うことが出来ないでいます。もう二回も直させましたが,この楽器の構造が他のアクションを取り入れることを許さないので,少しも良くすることはできませんでした。

〈児島新・前掲書〉



フォルテピアノ

フォルテピアノ書簡集

渡邊順生著『チェンバロ・フォルテピアノ』

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