チェンバロの歴史と名器[第2集]/渡邊順生
 解説


 □曲目一覧
 □この企画のねらい/選曲
 ■使用楽器について
 □ドイツのクラヴィーア音楽
 □フランスのチェンバロ音楽

 

使用楽器について

 このアルバムで使用したチェンバロは以下の通りである。

[A] ドイツ様式の二段鍵盤、マルティン・スコヴロネック製作(ブレーメン、1999年)

[B] 17世紀フランス様式の一段鍵盤、アラン・アンセルム製作(モンタルジ、1997年)

[C] 18世紀フランス様式の二段鍵盤、マルティン・スコヴロネック製作(ブレーメン、1990年)

 第1集の解説の中で述べたように、チェンバロにおいては、現代の楽器の中にも、17〜18世紀に作られた最高の名器に比肩しうるものが、数は少ないが存在する。それらの現代のチェンバロは十分「名器」と呼ぶに値する。私は今までに数百台に上るオリジナルのチェンバロを見てきたし、演奏可能な状態に修復されたものは、出来る限り実際に弾く機会を得るように努めて来た。その結果として、数え切れないほど多くのチェンバロを弾いたことになる。その中には興味深い楽器は多々あるものの、いつでも音を思い浮かべられるほど強烈な印象を与えられたものはごくわずか――10台から15台程度、多くても20台を超えることはまずなかろう。

 一方、現代の製作家の中でも2、3人の製作家の作るチェンバロは、どんなに厳しい基準で篩いにかけても、これらオリジナルのチェンバロでも最高のグループの楽器と肩を並べることが出来る――彼らの作る楽器の中にも、もちろん多少の出来不出来のばらつきはあるが・・・。ブレーメンのマルティン・スコヴロネックは、そのような現代の名匠の中でも筆頭に挙げるべき存在である。彼は1926年にベルリンで生まれ、今年の暮れには77歳になるが、いまだに楽器の製作を続けている。1950年代からチェンバロやクラヴィコードなどの歴史的鍵盤楽器のレプリカを作り始め、60年代にはレオンハルトのレコードによって知名度を急速に広げ、世界中から注文が殺到した。ピーク時には、彼のウェイティング・リストはほぼ30年に達したのである。彼は、リコーダーやトラヴェルソなどの管楽器も製作し、幾つかの重要なオリジナルのチェンバロの修復も手がけている。

 

□ドイツとフランスにおけるチェンバロ製作

 このアルバムで使用したドイツ様式及び17世紀フランス様式のチェンバロは、残っているオリジナルの楽器が極端に少ない。この2つの様式の間には、際立った違いがほとんどないので、ひっくるめて「中部ヨーロッパ様式」とでも呼んだ方がよいのかも知れない。底板の上に構造材を組んで側板を立てる、イタリアのチェンバロのような工法だが、側板はイタリアのものよりはずっと厚みがある。響板の裏側にリブ(細い棒状の気で、振動を響板の広い免責に拡散するはたらきがある。原義は「あばら骨」)を貼付する方法にも、様々な工夫が凝らされた。標準化が行われた形跡がないので個体差はかなり大きい。大雑把に言って、フランスのものは音色がやや甘口で、ドイツの楽器の方がスケール感があったり、音色に渋みがある。これらのタイプは、歴史的チェンバロのレプリカが盛んに作られるようになっても、大多数の現代の製作家は見向きもしなかったものである。それが、1970年代の後半頃からドイツのチェンバロに関心が集まり始め、やがてそれは初期フランス様式のものにも広がったのである。しかし、昨今でも、17世紀フランス様式の楽器を手がける製作家はまだごく限られている。

 チェンバロは、1397年にオーストリアのヘルマン・ポールが発明した、と言われているが、それが具体的にどのような楽器であったかは全く知られていない。その約四半世紀後、北西ドイツのミンデンという町の聖堂の祭壇に、チェンバロが彫り込まれた。これは、チェンバロの図像で現存する最古のものである。1440年頃、ズウォレ(オランダ中部の町)のアンリ・アルノーなる楽器製作者がブルゴーニュ公に提出した設計図(このアルバムのジャケットのデザインにも用いられている)は、かなり詳細かつ精確なもので、この図面から実際に楽器を作ることが出来る。このように見てくると、この時期には、チェンバロは既に、オーストリアからドイツ、フランスに跨るかなり広い地域に広がっていたと思われる。従って、この「中部ヨーロッパ様式」というのは、チェンバロの中では最も歴史の古い様式なのである。しかし16世紀のイタリアと16世紀末から17世紀初めにかけてのフランダースで、極めて特徴的でしかも相互に対照的な様式が生み出されたため、現代における歴史的チェンバロに対する関心は、これらの2つの様式に集中したのである。現存する楽器の数や質からも、イタリアとフランダースは、初期のチェンバロの二大様式と言ってよい。

 ドイツのチェンバロがごく僅かしか残っていないのは、おそらく、何度かにわたる戦争よる破壊が主たる原因であろう。17世紀前半の三十年戦争、18世紀におけるオーストリア継承戦争と七年戦争、ナポレオン戦争、そして最後の仕上げをしたのが第二次世界大戦であった。

 フランスにおいてはだいぶ事情が異なる。18世紀初頭のパリで、チェンバロ製作における一大変革が起こる。製作家たちは、17世紀フランダースのルッカース一族のチェンバロを拡大改造し、そこにチェンバロの理想を見出したのである。ルッカース一族は、比較的厚みのある側板の間に梁を渡して弦の張力を支えるという、イタリア及び中部ヨーロッパ様式のチェンバロとは全く異なる工法を開発し発展させた。イタリアや中部ヨーロッパのやり方は、言ってみれば「床工法」であり、それに対して、ルッカースのそれは「壁工法」であった。響板上のブリッジ(駒。弦の振動を響板に伝達する細長い木で、高音部と低音部は側板側の響板の縁に沿って湾曲している)の裏側には、響板の自由な振動を得るため、リブを全くつけなかった。ルッカースのチェンバロには一段鍵盤のものが多く、音域も狭かったため、18世紀フランスの製作家たちは、一度楽器全体を解体し、必要な部分を拡大したり延長したりしてから組み立て直した。ルッカースのチェンバロは極めて優れた楽器であり、このような拡大改造を施されたものは、音色はマイルドながら力強く、極めて華麗な響きをもつに至った。もともとのルッカースのチェンバロとは、全く異なる性格をもった――しかしながら、極めて優れた楽器として生まれ変わったのである。このような楽器に理想を見出したフランスの製作家たちは、新作の楽器も、おおむね同じような様式で製作した。こうして、彼らは、ほぼ3〜4世紀間にわたって培われたフランスの製作伝統を捨て去って、顧みることはなかった。それに伴って、17世紀にフランスで製作されたチェンバロも、あるものは大規模な改造によって当世風の構造・音色に改められ、またあるものはもはや前代の遺物として処分されることがほとんどで、価値あるものとして注意深く保存されることはなかったのである。

 

□ドイツ様式のチェンバロ

 ドイツのチェンバロの中で特に印象的な楽器は、1716年にハンブルクで作られた一段鍵盤のフライシャー(ハンブルク歴史博物館蔵)、1728年に同じくハンブルクで作られた二段鍵盤のツェル(ハンブルク美術工芸博物館蔵)である。何れもスコヴロネックの修復によって、現在演奏可能な状態にある。その他にも、一段鍵盤の楽器で修復されているものが何台かある。ベルリンのミートケのチェンバロは、バッハがケーテン宮廷のために購入したといういわくからも、今日、ドイツのチェンバロの中で最も大きな関心を集めている。しかし、現存するミートケのチェンバロは、後世の改造の手を経ていたり、また修復が不可能な状態であったりして、本来の音を耳で確かめることは出来ない。その他にも、バッハ時代のザクセンの楽器が数台あり、何れも興味深いものだが、今のところまだよく研究されていない。

 ツェルの二段鍵盤は大変スケールの大きな楽器で録音にも使われている。私のベスト15にも当然入る楽器だが、17世紀のレパートリーにはあまり適さない。スコヴロネックの製作したドイツ様式の楽器の中には、極めて優れたものが何台かある。彼は、ドイツのチェンバロなどに誰も見向きもしなかった1960年代から、営々とドイツのチェンバロを研究していた。彼の中では、自ら修復したツェルと、ベルリンにあるミートケが規範となっているらしい。ミートケとツェルの楽器には構造的な共通点が多いため、ツェルがミートケの弟子であった可能性を指摘する学者もいる。ミートケの方がコンパクトな作りで、17世紀のレパートリーにも適している。

 私は、1990年にスコヴロネックの製作したドイツ様式のチェンバロを見て度肝を抜かれたことがある。大変スケールの大きな楽器だが、微妙なニュアンスにも富んでいる。ツェルのオリジナルと似通った印象を持ったが、オリジナルのツェルよりも一段と優れた楽器であった。彼は常日頃から「私にとってのオリジナルのチェンバロは、演奏家にとっての楽譜のようなもの」と言っているが、この楽器は、オリジナルから学びながら元のオリジナルを凌いでしまった稀有の例の1つである。今回の録音に使用したチェンバロは、それとは対照的な性格の楽器である。初めて見たとき、これほどデリケートなドイツ・モデルもあるのか、と、やはり驚きの目を瞠ったものである。この楽器を弾いていると、ドイツの作曲家たちが必ず弾いたクラヴィコードとの繋がりを強く感じさせられる。やや辛口だが美しい音色である。曲想によって、また弾き方によって、色彩がどんどん変化するのが素晴らしい。私の録音では、『J・S・バッハ/チェンバロ協奏曲集I』(ALCD-1034)で使用したので、今回が2度目である。

 なお、ドイツ様式のチェンバロでは、もう1台、私の記憶に深く刻み込まれている楽器がある。ザクセン地方の作者不詳の二段鍵盤を、長年にわたってパリに工房を構えているイギリス人の製作家アンソニー・サイデーがコピーし、1997年に完成したものである。これまた大変スケールの大きな楽器で、バッハの作品に特に適していた。サイデーは、基になったオリジナルの製作者はジルバーマンの弟子であろうと考えているが、このレプリカもまたオリジナルを超えてしまっているに違いない。オリジナルの方は修復されていないので確かめようがないが、少なくとも名の通った製作家でないことははっきりしているのである。

 

□初期フランス様式のチェンバロ

 17世紀フランスで製作されたチェンバロとしては、現在20台ほどの存在が知られているが、その中で修復されたものはごく僅かである。一番よく知られているのは、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館が所蔵するヴォードリ(パリ、1681年)であろう。1975年に発見され、すぐに修復されたが、現在の状態はよくない。ルイ14世に連なる王族の所有していた楽器で大変美しいシノワズリー(中国の漆器を模した装飾様式)が施されている。私は修復直後に弾いてたいへん好感をもった覚えがあるが、何しろ、その少し後(1977年)にスコヴロネックの製作したこの楽器のレプリカが見事な楽器であった。オリジナルとはまるでレベルの違う名器だったのである。但し、ヴォードリ氏の名誉のために一言お断りしておくが、スコヴロネックという人は、決して正確なコピーを作らない。常に自分の創意を加えた楽器を製作する。即興的な設計変更も厭わない。だから、彼の楽器は全て彼のオリジナルだと言うことが出来る。何れにせよ、そのために、ヴォードリのオリジナルの方の印象は、記憶の淵に沈んでしまった。最近になって、再びロンドンを訪れたときには、この楽器はもう演奏できる状態ではなかった。

 私が最も強い感銘を受けたのは、トゥールーズのティボーがやはり1681年に製作した楽器で、これはフランスの個人蒐集家の持ち物である。輪郭のはっきりした目覚ましく鮮やかな音で、これがフランスの楽器かと一瞬首を傾げたが、曲を弾いてみるとルイ・クープランにもフローベルガーにもピッタリであった。修復が十分でないため、録音ではばらつきが目立ってしまう。だが、持ち主に言わせると、「私には今のままで十分。これをまた解体するなんて、楽器が可哀想で、とてもそんな目には遭わせられない」とのことであった。

 アラン・アンセルムは、初期フランス様式の研究者としても第一人者として高い評価を得ている。今回使用した楽器のモデルになったのは、パリのドゥニ一族の楽器。ドゥニ一族のチェンバロは、1648年から77年にかけて製作された4台が知られているが、何れも二段鍵盤――にも拘わらず、アンセルムのレプリカは一段鍵盤である。調律師の梅岡俊彦さんの所有する楽器で、私は、フランス音楽を集めたリサイタルの際に初めてお借りした。最初の一音から「なるほど初期フレンチ!」と納得。イタリア風の軽い構造体で音も軽やか。立ち上がりは明快だが、マイルドで親密さを感じさせる音色。しかも、よく響きよく歌う。

 

□18世紀フランス様式のチェンバロ

 このタイプは、現代のチェンバロの中では最も一般的なものである。チェンバロに少しでも通じている人は「ああ、またフレンチか!」と言うかも知れない。それというのも、このタイプは、音域から機能、装飾様式(脚の形も含めて)に至るまで標準化されているからで、響板には決まって花と枯れ枝にとまった鳥の絵が描かれている。枯れ枝からは新しい葉が吹き出ている。これは、「私(木)は生きているときは黙していたが、死んで(楽器になって)歌を歌う」という、いわば復活のアレゴリーなのだそうである。

 このように、外見は画一化されていても、それぞれの製作家たちは一台一台に様々な工夫を加えたのである。上に述べた「拡大されたルッカース」というのは1つの典型ではあったが、全ての楽器が同じ理想をもって作られたわけでは決してない。というのも、拡大されたルッカースは極めて華麗な音色をもっていたが、響きがリッチで、音の混ざり具合がとても良い反面、曲によっては内声部が埋もれてしまい易く、そのため、ポリフォニックな音楽には必ずしも適したタイプとは言い難い。その点で、響きを押さえて明晰さを求めるための工夫の凝らされた楽器も多数作られた。

 スコヴロネックが長年にわたって取り組んできたフランス・モデルも、やはりそうした方向をもった楽器である。この録音で用いたチェンバロは、彼が発見した18世紀フランスの資料を具現化したものである。このモデルは、彼の手がけた18世紀フランス様式のチェンバロの中では最も成功したもので、その中の1台には、多くの専門家が長期にわたって18世紀に作られたオリジナルと信じ込んでいた、という楽器もあるくらいである。

 

 

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