チェンバロの歴史と名器[第2集]/渡邊順生
  解説


 □曲目一覧
 ■この企画のねらい/選曲
 □使用楽器について
 □ドイツのクラヴィーア音楽
 □フランスのチェンバロ音楽
 

 

『チェンバロの歴史と名器』第2集

■この企画が出来るまで

 このシリーズは、2000年の8月に東京書籍から刊行された私の著書『チェンバロ・フォルテピアノ』に準拠したものである。今日、16世紀の前半から19世紀初頭に至るほぼ3世紀間に作られた数多くの歴史的チェンバロが残されているが、チェンバロという楽器は、その製作された国や地域、時代によって様式が異なり、外見も音も驚くほど違う。そこで、アクション(発音機構)の仕組みや作動の仕方、構造、音色や音楽的特性、装飾や外見の特徴、背景となった社会や、それらの楽器を弾いた作曲家や音楽作品、楽器についてのエピソード等々と書き進むうちに、何と800ページを超える大部の本になってしまったのだが、どうしても本には書けないことがある。「音」である。楽器について詳述しながら、その音色についても、それらの楽器のために書かれた音楽についても、言葉で説明することのもどかしさ・空しさをいやというほど思い知らされる羽目になってしまった。

 そこで、この本に準拠したCDを作ろう、ということになったのだが、さて、具体的にどんなCDにしたらよいか、ということになると、これを考えるのがまた一苦労なのである。このプランが浮かんだ時、最初から私の頭の中にあったのは、「楽器のカタログ」のようなものは決して作るまい、ということであった。「最高の楽器で最高の名曲を」というのは、演奏者と聴き手の関心の一致している点であろう――いや、それは実は演奏する側の勝手な思い込みなのだが、最高の名曲を最高の楽器で聴いた聴き手が楽器への関心を喚び覚まされ、楽器についての知識を蓄えることによって更に音楽の理解を深める、ということはよくあることだ。出来ればそんな機会を提供できるようなCDが作りたいものだ・・・そんな風に考えているうちに、このシリーズの内容が固まって来た。

 私は、今まで数え切れないほど楽器に焦点を当てた録音物(レコード・CD・カセットテープ等)に触れ、また、楽器の展示会などにおけるデモンストレーションやコンサートなどを経験して来たが、音楽と楽器のバランスが後者のほうへ傾けば傾くほど、こうした企画はつまらぬものになってしまうのである。素晴らしいのは音楽なのである。楽器が興味深いのは、それが「音楽」をするための道具であるからだ。いま二人の優劣つけがたいほど才能と技術に恵まれた楽器製作家がいたとする。一人は素晴らしく音のよい道具(=楽器)を作り、もう一人はよい音楽をするための道具を作るとする。楽器としてより優れているのは後者のほうである――少なくとも私なら、躊躇なく後者のほうを選ぶ。

 常日頃から、私が最も美しいチェンバロ音楽と考えているのは、フレスコバルディ、フローベルガー、ルイ・クープランという3人の作曲家の作品である。彼らの作品にはチェンバロ音楽の原点が示されている。フレスコバルディを弾くならもちろん16世紀後半か17世紀のイタリア様式のチェンバロで、フローベルガーは17世紀フランダース様式とドイツ様式、ルイ・クープランは17世紀フランス様式(18世紀フランス様式のものとは全く音色も構造も異なる)の楽器で弾きたい。それに何人かのイギリスのヴァージナリスト、17世紀のイタリアとドイツの作曲家たちの作品も魅力的だ。チェンバロの黄金時代を築いた18世紀のフランスからはラモーともう1人か2人。スカルラッティも外せない。もちろん別格のバッハも。バッハの作品はこれまでにもだいぶ録音してきたが、今回は小さな作品をいろいろな楽器で弾いてみたい――これは、彼の作品の多面性を示すのにちょうど良い方法に思える・・・

 こんな風に考えているうちに、曲目と使用楽器のラインナップが段々固まって来た。楽器は、数多くの種類を揃えるよりは、優れたもの・典型的なものを並べ、台数は最小限度に押さえることにした。じっくり音楽を聴いていただこうとすると、楽器1台あたりの時間がどうしても長くなる。だが、演奏会の場合とは違って、CDなら、興味のあるところだけ拾って聴いたり、飛ばしたりすることも聴き手の自由である・・・。こうして、このシリーズ第1集と第2集――つごう4枚のCDの企画が出来上がった。

 

■このアルバムにおける選曲のねらい

 前回の第1集が、楽器としてはイタリア及びフランダース様式のチェンバロを用いながら、演奏曲目としては、イギリス、イタリア、オランダ、フランス、ドイツ、スペイン等で書かれた国際色豊かな作品が並んだのに対し、今回はドイツ及びフランス様式の楽器で、曲目もドイツとフランスの作品に限定されている。それは、イタリアとフランダースのチェンバロが国際的に大きな広がりを見せたのに対し、少なくともドイツと17世紀フランスのチェンバロが極めてローカルなものであったこと、またドイツとフランスは何と言っても鍵盤音楽大国で、これらの国や地域の作曲家たちは、自国の楽器から想を得ることが多かった、という事実に拠るのである。

 第1集の「フランダースのチェンバロ」では、フローベルガーのトッカータと組曲を交互に配列し、最後に「哀歌」を置いた。これはフローベルガーの作品の演奏で、今日通常広く行われている方法で、《トッカータ》が《組曲》に対する前奏曲の役割を果たすことになる。今回は、少し趣向を変えてみようと思い、北ドイツのヴェックマンの《トッカータ》と南ドイツのフローベルガーの《組曲》を交互に並べてみた。もちろん、ドレスデンにおけるヴェックマンとフローベルガーの「競演」が頭になかったわけではないが、それを再現しようなどという積もりはさらさら無い。ただ、偶然にも同年に生まれた南北ドイツを代表するこれらの作曲家の作風と、そして「トッカータ」と「組曲」という、一方はイタリア起源、他方はフランス起源でありながら以後のドイツのクラヴィーア音楽において代表的なものとなる楽曲形式を対照させてみるのも面白かろう、と思ったまでのことである。以降、17世紀の部ではこの方法を踏襲して北ドイツのブクステフーデ、南のケルル、北(実際は中部だが)のクーナウと続く。この辺からバッハへの直接の繋がりが意識されており、バッハのライプツィヒにおける前任者であるクーナウ、バッハと親交のあったベームと続いて最後はバッハの初期作品の中では代表的な傑作であるニ長調の《トッカータ》で締め括った。

 大勢の作曲家による比較的規模の小さな作品がたくさん並んだ「ドイツ編」とは対照的に、「フランス編」のほうは、比較的大きな3つのまとまりで構成した――言ってみれば「初期」、「盛期」、「後期」ということになろうか。取り上げた3人の作曲家の中では、最初のルイ・クープランが――少なくともチェンバロ音楽に関する限り――断然抜きん出た天才である。彼は、パリを訪れたフローベルガーから多大な影響を受けたが、このディスクにおける《組曲へ長調》という選曲はフローベルガーとの繋がりを強く意識したものである。冒頭のプレリュードの一部分には、フローベルガーの《トッカータ第5番》(1649)の一節の借用がみられるし、また「ブランロシェ氏の墓」はフローベルガーの同名の作品と同じ人物の死に対して作曲されたものである。

 ラモーは斬新な作風で18世紀のフランス音楽に新風を吹き込んだ。彼のチェンバロ曲の中にはいわゆる性格的小品(ルビ:キャラクター・ピース)を自由に配列したものもあるが、《組曲イ短調》は彼の作品中でも最も伝統的な形式によったもの。ルイ・クープランの組曲と対置することにより、ラモーの音楽の特徴が一層顕著に実感されよう。

 デュフリはパリでチェンバロの名手及び教師として活躍した人だが、彼の作品中には、当時の愛好家たちが求めたチェンバロの様々な響きの魅力が凝縮されている。このディスクに収録した5曲は、彼の名声が頂点に達していたと思われる1750年代後半の作品である。

 

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