Cembalo, Clavicordo & Fortepiano
 J・S・バッハ チェンバロ協奏曲集T
 解説


 □各曲解説
 □楽器と演奏、録音に関する問題
 □演奏者略歴
 □曲目一覧

J・S・バッハのチェンバロ協奏曲

 ヨハン・セバスティアン・バッハは、室内楽やオーケストラ作品において、従来、通奏低音という役割に限定されて使われていたチェンバロに、独奏協奏パートを担わせることによって、合奏曲のジャンルにおいても堂々たる独奏楽器の地位を与えた。これは、当時、ほとんど他に類例を見ない斬新な試みであった。バッハは、チェンバロを独奏楽器とする協奏曲を15曲作曲した。それらの内訳は、チェンバロとフルートおよびヴァイオリンを独奏楽器とする《ブランデンブルク協奏曲第5番》(BWV1050)、1台のチェンバロと弦楽合奏のための協奏曲が8曲(BWV1052~59――但し、BWV1059は9小節のみの断片である)、2台のチェンバロのための協奏曲が3曲(BWV1060~62)、3台のチェンバロのための協奏曲が2曲(BWV1063~64)、そして4台のチェンバロのための《協奏曲イ短調》(BWV1065)である*。

[*この他に、《フルート、ヴァイオリン、チェンバロのための三重協奏曲イ短調》(BWV1044)があるが、筆者はこの作品がバッハの真作であることに強い疑念を抱いている。この問題については拙著『チェンバロ・フォルテピアノ』(東京書籍)のp.784(第8章の註22)で論じた。また、上記の他に、弦楽合奏を伴わないチェンバロのみのための協奏曲が2曲ある。《2台のチェンバロのための協奏曲第2番》の別ヴァージョン(BWV1061a)と、独奏曲として有名な《イタリア協奏曲》(BWV971)がそれであるが、これらの作品については『J・S・バッハ/イタリア協奏曲』と題したCD(ALCD-1023)の解説を参照されたい。]

 これらの協奏曲のうち、《ブランデンブルク協奏曲第5番》のみが、ケーテンの宮廷楽長をしていた1718/19年頃の作品(あるいはそれに先立つヴァイマール期の末期の1717年頃に作曲された可能性もある)で、その他はすべて1730年代にライプツィヒで作曲された。バッハは1723年、ケーテンの宮廷楽長の職を辞してライプツィヒに移り、市の音楽監督としてトーマス教会とニコライ教会をはじめとする四大教会において礼拝に必要な音楽を供給するとともに、トーマス学校の生徒たちの指導に当たっていた。ここで、膨大な数の教会カンタータや受難曲、モテットなどが次々に生み出されたのである。しかし、ライプツィヒに来て数年もすると、バッハは、市の参事会との対立をはじめとする様々な職務上の困難や障害に悩まされることになる。
 そんな折も折、ライプツィヒ大学の学生たちの組織である「コレギウム・ムジクム」の指導者が空席となり、バッハがその任に当たることとなったのである。ライプツィヒ大学のコレギウム・ムジクムは、1702年、当時ライプツィヒ大学の学生であったテレマンによって創立され、バッハの時代には、冬はゴットフリート・ツィンマーマンという人物の経営するコーヒーハウス、夏はグリム門前のツィンマーマンの庭園を会場として、毎週公開のコンサートを行っていた。この仕事によって新たな創作意欲を刺激されたバッハは、再び協奏曲や管弦楽組曲などの器楽作品や《コーヒー・カンタータ》をはじめとする世俗カンタータ等と精力的に取り組むことになるのである。バッハは、コレギウム・ムジクムの指揮者を、1729年から少なくとも41年までの十数年にわたって務めたのであった(但し、1737〜39年の間、中断)。
 チェンバロ協奏曲はこのコレギウム・ムジクムで演奏するために生み出された。《ブランデンブルク協奏曲第5番》を除く14曲のチェンバロ協奏曲のうち、《2台のチェンバロのための協奏曲ハ長調》(BWV1061)を唯一の例外として、他の13曲はことごとく旧作あるいは他人の手に成る旋律楽器のための協奏曲の編曲である。既に、教会カンタータの作曲に忙殺されている時期に、バッハはしばしば、旧作の協奏曲楽章を取り上げてはカンタータの中で使用するために編曲した。その編曲作業とは、基になった協奏曲のアレグロ楽章の独奏パートをオルガン用にアレンジしてシンフォニアとして用いるか、緩徐楽章に声楽声部を加えてアリアまたは合唱曲に改変するかの何れかである場合が多かった。一連のチェンバロ協奏曲は、このような編曲手法がさらに入念に展開された結果であるが、こうした作業を通じて、バッハは、一度世に出した作曲素材をさらに深く掘り下げ、さらに豊かなものに育て、さらに完全なものに磨き上げようとした。従って、ほかならぬこうした編曲の営みの中にこそ、バッハ芸術の内面性と精神性の深さが、ある意味で最もよく滲み出ていると言える。チェンバロ協奏曲は、こうした意味で、バッハ作品の中でも特に注目に値する領域であり、なかんずく、このディスクに収録したニ短調とホ長調の協奏曲の中にこそ、我々はバッハが器楽の領域において為し得た最高の成果を見ることが出来るのである。

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