Cembalo, Clavicordo & Fortepiano
 J・S・バッハ チェンバロ協奏曲集T
 解説


 □各曲解説
 ■楽器と演奏、録音に関する問題
 □演奏者略歴
 □曲目一覧

楽器と演奏、録音に関する問題

 バッハのチェンバロ協奏曲を演奏する際に、いつもぶつかる頭の痛い問題がある。それは、独奏チェンバロと弦楽合奏の音量のバランスである。たとえ、弦楽合奏を各パート1本ずつという最小限の編成にしても、弦楽器の音がチェンバロにかぶって、独奏パートの旋律が聞き取りにくいものとなってしまう部分が少なからずある。そのため、演奏会場では、チェンバロと弦楽器の配置の決定に最大限の時間と神経を使うのである。カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは50曲余りのチェンバロ協奏曲を作曲したが、彼の作品では、このバランスの問題はおおむね解決されている。しかし、父バッハのチェンバロ協奏曲では、15曲の協奏曲の何れにおいても、多かれ少なかれこの問題に直面せざるを得ないのである。
 ピリオド楽器の演奏の最大の利点の1つは、各楽器間のバランスが作曲者の意図したとおりのものになる、あるいは、そうした「適正な」バランスが得やすい、ということにある。私たちは、初めて古楽器でバッハやモンテヴェルディの大規模な宗教作品などを聴いて、目から鱗が落ちるような思いを何度も経験してきたが、ことバッハのチェンバロ協奏曲となると、そうは行かない。
 こんなに具合の悪い編成の作品を、何故バッハは15曲も書いたのだろうか――と、首を傾げてしまうことがしばしばである。その理由としては、次の3通りの可能性が考えられる。
(1)バッハが所有していたりコレギウム・ムジクムの演奏会で使用したチェンバロが、現代の我々が通常使用する何種類かのチェンバロに比して、ずっと音量の大きな力強い楽器であったとしたら、この問題は解消ないし著しく軽減されるはずである。実際、1730年代にドレスデンで製作された現存するチェンバロは、極めて力強いと聞いている――残念ながら、私はその楽器をまだ見た経験がなのだが、一度その機会を得たいと思っている。
(2)コレギウム・ムジクムの演奏会場となったツィンマーマンのコーヒーハウスのサロンが特殊な音響をもっており、チェンバロの音が特に目立ってよく聞こえた。あるいは、聴衆の席が演奏者よりもずっと高い位置(例えば二階席のような)にあり、チェンバロの響板からの直接音がよく聞こえた。
(3)バッハはこの問題をあまり気にしなかった。あるいは、そうした問題があったにも拘わらず、コレギウム・ムジクムの演奏会でバッハが弾くチェンバロ協奏曲の人気が高かった。
 (1)に関連して、最近ではピアノフォルテの可能性が云々されることがあるが、私の考えでは、バッハがピアノフォルテで協奏曲のソロ・パートを演奏した可能性はまずない(これについては後述する)。
 現代の我々にとって最良の解決策は(2)である。私など、客席がステージを見下ろすように設置されている会場を見ると、反射的に「このホールはチェンバロ協奏曲に向いているかも知れない」という風に頭が働くようになってしまっているくらいである。
 「録音では、こうした問題は起こらない」と思う方は多いだろう。実際、レコードやCDで聴くチェンバロ協奏曲では、チェンバロの音は常によく聞こえる。しかし、実際の音をよく知っている私などは「聞こえ過ぎ」だと思うことがしばしばである。録音では、ほとんどの場合、各楽器に補助マイクをつけ、チェンバロに付けた補助マイクの音量を他の楽器のそれよりも上げて録る。確かにそうすることによって楽器間の音量のバランスは解決するが、音像的には、チェンバロが現実にはあり得ないほど大きくなってしまったり、各楽器の配置が平面的に聞こえたり、アンサンブル全体のまとまった響きが得られない等々、聞き心地の悪いものになりやすい。
 このディスクの録音では、そうした人工的な方法を避け、個々の楽器の魅力とアンサンブル全体の響きのまとまりに配慮しながら、しかも演奏会場におけるバランスの問題を解消するために最大限の努力が払われた。マイクロフォンの位置を高くし、マイクに一番近い場所にチェンバロを置いて、弦楽器をチェンバロを取り囲むように配置した。私自身のイメージから言えば、かなり理想に近いバランスが得られたように思う。それでもところによっては、弦楽器の伴奏がチェンバロのソロにかぶってしまい、チェンバロの旋律が聞こえにくくなっている箇所が全くないわけではないのだが、そのような部分も含めて、本物に近い響きを心地よく聞いていただける結果が得られたと思っている。使用した2台のチェンバロは、音量にかなり差があるため、弦楽器の位置を若干調整した。そのため、曲によってマイクと弦楽器の距離感に多少の差違が生じているが、そうしたことが気になる方は、再生音量を若干調整していただくことによって解決するはずである。
 使用したチェンバロは、マルティン・スコヴロネックによる18世紀・ドイツ・モデルとアンソニー・サイデイによる18世紀・フランス・モデル(ルッカース=エムシュ)である。前者は、ベルリンの製作家ミヒャエル・ミートケとハンブルクのクリスティアン・ツェルの製作したチェンバロから種々の要素が採り入れられている。現代屈指の製作家スコヴロネックが73歳の時に製作した楽器だが、彼が一生涯をかけて追求して来た「バッハ・チェンバロ」の理想に対する1つの答えである。私のCDでは今回が初登場だが、私自身このような楽器でバッハの作品を演奏できることを幸せに思っている。後者は、『イタリア協奏曲』のCDで《フランス風序曲》にも用いた楽器だが、その録音から4年近い月日が経過しているので、ずっと「熟成」した響きになっている。ホ長調協奏曲の高貴な性格とのびやかな旋律にピッタリの音である。

付論■バッハのチェンバロ協奏曲=実は、史上初めての「ピアノ協奏曲」?
 バッハのチェンバロ協奏曲の独奏楽器として、「ピアノフォルテ」の可能性が議論の対象になるのは、次のような理由による。
 1733年6月のある日、ライプツィヒ新聞に、バッハのコレギウム・ムジクムで「当地にてはまだ演奏されたことのない新しいチェンバロ」がお目見えするという記事が掲載された。これは、通常とは多少異なる意匠を凝らしたチェンバロが誇大に宣伝されたものだったかも知れないし、様々な鍵盤楽器が開発されていた当時のことであるから、現代の我々の想像も及ばぬ珍奇な楽器であったかも知れない。当時バッハの周辺で複数の楽器製作家が開発を進めていたピアノフォルテの1台であった、という可能性も否定することは出来ない。この楽器については判断の材料が皆無なのだが、オーストリアのさる音楽学者は、ここで言われている楽器は開発されたばかりのピアノフォルテで、それによってバッハのいわゆる「チェンバロ協奏曲」が演奏されたに違いない、とするセンセーショナルな論文を1991年の『バッハ年鑑』に発表して様々な議論を巻き起こした。
 バッハは、友人でもあった優秀なオルガン製作家ゴットフリート・ジルバーマンのピアノフォルテ(恐らくその最初の2台のうちの1台)を試奏して、「タッチが重くて弾きづらく高音域がのびを欠く」と厳しい注文をつけた。ジルバーマンは1732年に最初のピアノフォルテをドレスデンのザクセン選帝侯に献上した、とされており、これが事実なら、その翌年ライプツィヒにその姉妹楽器をもって来た、という可能性は十分にある。しかし、最初期のピアノフォルテは、チェンバロよりもずっと音量も小さい上に音の通りも悪く、まして屋外での演奏に堪えるものではあり得ない(問題のコレギウム・ムジクムの演奏会は、ツィンマーマンの庭園を会場として開催された)。この時は物珍しさから屋外で短時間演奏される、というようなことがあったとしても、バッハが協奏曲を演奏するような楽器でなかったことは、上述の楽器間のバランスの問題からも明らかである。バッハは、後に、ジルバーマンの改良型のピアノを見て肯定的に評価したが、それは1740年代の半ば頃の話である。
 バッハとピアノとの関わりについて最も詳しく知っていたのは、フリードリヒ・アグリコラというバッハの弟子で、1738年に、ライプツィヒ大学の学生としてこの地にやってきた。ちょうどバッハが、チェンバロ協奏曲の集大成を手がけつつあった時期である。バッハが初めてジルバーマンのピアノを試奏したときの様子を書き残したのも、アグリコラであった。彼はコレギウム・ムジクムのメンバーでもあり、個人的にバッハの仕事も手伝い、自分自身がピアノについて強い関心を抱いていたので、バッハにも意見を求めたに相違ない。しかし彼は、バッハがピアノで協奏曲を演奏したかどうかについては全く言及していないのである。
 私自身、数年前に、バッハの「チェンバロ協奏曲」のフォルテピアノでの演奏を試みたことがある。その時の曲目はホ長調協奏曲(BWV1053)で、楽器はモーツァルト時代のウィーンのピアノであった。結果は、当然のことながら、全体がモーツァルトのようなサウンドになってしまい、18世紀のウィーンのピアノはバッハの音響世界には属していない、という至極当り前の事実を確認しただけであった。18世紀前半の、初期のピアノは、今日我々が「ピアノ」という概念で思い浮かべる楽器からはほど遠い。古典派時代のピアノからもかなり大きな距離があるのである。
 バッハとピアノについては、この問題も含めて拙著『チェンバロ・フォルテピアノ』(東京書籍)の第8章に詳述したので、さらに興味のある方にはぜひ御一読をお願いしたい。

BACK