Cembalo, Clavicordo & Fortepiano
 J・S・バッハ チェンバロ協奏曲集T
 解説


 ■各曲解説
 □楽器と演奏、録音に関する問題
 □演奏者略歴
 □曲目一覧

各曲解説

協奏曲第1番二短調 BWV1052
 この作品は、北ドイツ的な音楽の構造的性格と協奏曲というイタリアの楽曲形式の融合という点で、バッハの音楽の特質を端的に示している。また、これほど長大な作品が、このように一貫して異様なまでの暗さに覆われているというのは、バッハの全作品の中でも極めてユニークである。特に第1楽章においては、冒頭主題のほかにはほとんど旋律らしい旋律も現れず、全曲を支配する重苦しいパトスは、出口を失って恐るべき持続のエネルギーを生み出し、チェンバロと弦の奏する和音の暗鬱な荘厳さの中で次第に灼熱し、最後のカデンツァに至って遂にとどめようのない奔流と化して、巨大な広がりを見せる。しかし、それが真に爆発するには、疾風怒濤の如き終楽章まで待たねばならない――このような感情表現は、バッハの作品中でも、幾つかの卓越した鍵盤曲や無伴奏ヴァイオリン作品に見いだすことが出来るが、合奏曲の分野では他に類例がない。
 バッハはこの作品にたいへんな情熱を注いだが、それは、この作品が何度も改作を重ねられたという事実にも顕れている。その改作の過程はおおむね次のようなものであった。

(1)原曲=失われたニ短調のヴァイオリン協奏曲
 この協奏曲の基になったのが同じ調で書かれたヴァイオリン協奏曲であったことはまず間違いない。それは、この協奏曲の独奏部のかなりの部分に、明らかにヴァイオリン的な音型が多く見られるからである。カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、このヴァイオリン協奏曲を父ゼバスティアンよりはよほど単純な手法でチェンバロ協奏曲に編曲しているので、この編曲版を通じて原曲の姿がかなりはっきり見えて来る。
 このヴァイオリン協奏曲は、遅くともケーテン時代(1717~23)には成立していたことは明らかだが、私はそれよりもだいぶ早い時期――おそらくヴァイマール後期の1714/15年頃に作曲されたものと考えている。バッハは、1713/14年頃、当時の雇い主であったヴァイマール大公の甥である公子ヨハン・エルンストの依頼で、ヴィヴァルディやマルチェッロ、テレマンらの協奏曲を多数、伴奏楽器を伴わない純然たる鍵盤独奏曲に編曲した。その数は、チェンバロ用が16曲、オルガン用6曲で、合わせて22曲にも上るのである。原曲の楽譜は、オランダに遊学していたエルンスト公子が持ち帰ったものであった。
 この仕事のおかげで、バッハはヴィヴァルディらによる最新のイタリアの協奏曲の様式や書法に通暁することとなり、それに刺激されて、同様の形式を用いた自身のオリジナル作品に手を染めたのに違いない。こうして書かれたのがヴァイオリン、ヴィオラ、チェロをそれぞれ3本ずつ用いる《ブランデンブルク協奏曲第3番》(BWV1048)であった**。また、同じ時期にバッハは、《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ》(BWV1001~06)を作曲している**。

[**これらの作品の成立年代を1714年頃とするのは、最新の研究による。]

 一方バッハは、同じ頃、クラヴィーアの独奏曲を協奏曲形式で作曲した。《6つのイギリス組曲》第2番から第6番までの5曲のプレリュードがそれである。上に述べたように、これらの作品のうちの幾つか、なかんずく《イギリス組曲第6番ニ短調》の長大なプレリュードや無伴奏ヴァイオリンのためのイ短調のフーガ、ニ短調のチャッコーナ(仏名シャコンヌ)などは、その緊張感の高さ、持続力、表現されている浄書的内容などにおいてこの協奏曲と共通点が多い。また、《ブランデンブルク協奏曲第3番》の第1楽章には、この協奏曲の終楽章と同じ素材(8分音符+16分音符2個から成るリズム・パターン)が使われている。このリズム・パターンは、クラヴィーア独奏曲である《半音階的幻想曲とフーガ》においても、フーガ主題の対旋律にまず現れ、長大なフーガ全体を前進させて行く原動力となっている。この作品もまたこの協奏曲との共通性を強く感じさせるが、やはり1710年代の後半から20年頃にかけて作曲されたものであろう。

(2)オルガンを独奏楽器とするカンタータ楽章
  教会カンタータBWV146「われら、あまたの苦難を経て」(1726または28年)
第1曲:シンフォニア――協奏曲の第1楽章
第2曲:合唱――同 第2楽章
  カンタータBWV188「われ堅く信ず」(1728年頃)
第1曲:シンフォニア――同 終楽章
 これらのカンタータ楽章においては、独奏部は全てオブリガート・オルガンのパートに委ねられているが、それらのオルガン・パートを見ると、チェンバロ版に比べて、旋律も比較的単純な部分が多く、また左手は通奏低音(チェロとコントラバス)のパートとほとんど重複している。

(3)最終的な決定稿としてのチェンバロ協奏曲
 《1台のチェンバロと弦楽合奏のための8つの協奏曲》(BWV1052-59)には、1738年頃に作成された自筆の作曲用スコアが残っている。もちろん、それ以前にも、コレギウム・ムジクムの演奏会などで、バッハがこれらの協奏曲を、独奏チェンバロのパートを即興的に充実させながら演奏した可能性は十分にある。いや寧ろ、そうした経験を経て、バッハはチェンバロ協奏曲の集大成に取りかかったのだと考える方が理に適っているように思える。ともあれ、このスコアに至ってバッハは、左手のパートと通奏低音のパートを切り離してそれぞれを独立させ、チェンバロ・パート全般にわたって、音型を細分化し、内声を充填してテクスチュアを厚みのあるものとし、また、華やかな装飾的要素をふんだんに採り入れるなどして、真に鍵盤楽器的な作品として完成した。
 ケーテン初期の1718年からでも20年、もし原曲が上述のように1714/15年頃に書かれたものだったとするなら、実に四半世紀近くに及ぶ長期にわたって、バッハはこの作品と取り組んだことになるのである。

協奏曲第2番ホ長調 BWV1053
 第1番と並んで、バッハの協奏曲中最も長大なものであると同時に、彼の協奏曲形式における最高峰の1つである。第1番において、嵐の吹きすさぶような激しいパトスが支配的であるのとは対照的に、この作品では、荘厳な明るさを基調としながらも、半音階の頻繁な使用や遠隔調への転調などによって豊かな情感に富んだスケールの大きな世界が繰り広げられる。この協奏曲は、主題の取り扱いの入念さ、トゥッティとソロの絡み合いの見事さ、優美さ、バラエティとニュアンスの豊富さにおいても、一頭地を抜いている。ハーモニーの微妙な移り変わりがもたらす色彩感の変化は正に絶妙と言うほかはない。ここでは、鍵盤音楽らしい和声的な表現の可能性が存分に追求されている。
 両端楽章は大規模な三部形式A−B−A(ダ・カーポ形式)をとっており、何れの部分においてもトゥッティとソロが頻繁に交替する。このような形式は、《イギリス組曲》の第2番と第6番のプレリュード、《ブランデンブルク協奏曲》第4番の第1楽章と第6番の終楽章、《ヴァイオリン協奏曲ホ長調》(BWV1042)の第1楽章などで既に我々にとっては親しいものとなっているが、2つの楽章でこのように規模の大きな形式が用いられた協奏曲は他に例がない。また、シチリアーノのリズムに基づいた中間楽章の、高貴な悲哀に満ちた表現は、正にバッハの独壇場である。
 この作品もまた、第1番と同様の経緯を辿って今日見る最終的な形に至った。
 原曲は、ケーテン時代に作曲された協奏曲であると推定されるが、第1番のようにヴァイオリンに特徴的な音型が現れないので独奏楽器を特定することが困難である。オーボエを独奏楽器とする復元版も幾つか作られているが、新バッハ全集の、チェンバロ協奏曲の原曲の復元版を5曲収録した巻(ヴィルフリート・フィッシャーの復元による)においては、この協奏曲の原曲の復元は断念されている。また、このチェンバロ協奏曲が、1曲の協奏曲をそっくり編曲したものではなく、元来、別々の協奏曲に属していた楽章を集めたものであるという可能性も、十分考慮に値する。
 第1番の場合と同様、このチェンバロ協奏曲には、オブリガート・オルガンを独奏楽器としたカンタータ楽章という「前身」がある。それらのカンタータは何れも1726年頃に作曲されたものである。
カンタータBWV169「神ひとり、わが心を知りたまわん」
第1曲:シンフォニア(ニ長調)――協奏曲の第1楽章(ホ長調)
第5曲:アリア(ロ短調)――同 第2楽章(嬰ハ短調)
カンタータBWV49「憧れもて求めゆかん」
第1曲:シンフォニア(ホ長調)――同 終楽章(ホ長調)
 これらのカンタータ楽章におけるオルガン・パートが、1738年頃の自筆スコアにおいて、入念かつ精緻に労作されたヴィルトゥオーゾ的なソロ・パートに生まれ変わり、弦楽器の声部も改訂された。その際に、最初の2つの楽章は長2度、上方に移調された。また、協奏曲の第2楽章と終楽章のトゥッティ部分のチェンバロ・パートには、チェンバロの特質を生かしたアルペッジョ(分散和音)による伴奏音型が付け加えられたが、これは第1番には見られなかったものである。

協奏曲第4番イ長調 BWV1055
 溌剌とした分散和音のトゥッティとチェンバロの分散和音の絡み合いによる、特別新鮮な開始部をもったこの協奏曲は、冒頭のリトルネッロ(トゥッティ)における、分散和音と流麗に流れる旋律という2つの要素の対照、独奏部の旋律の流麗さなどによって、イタリア的な明るさを聴き手に印象づけている。また、終楽章のリトルネッロ(トゥッティ)を特徴づけている32分音符の目まぐるしい動きは、他のバッハの協奏曲の終楽章ではほとんど例のないものである。両端楽章におけるトゥッティとソロの交替が明確であることも、この作品の印象を、健康的で明快なものとしている大きな要因である。実際、この協奏曲は、堅牢な構造体の中で様々な情感が交錯する前2曲とは全く異なる世界に属している。しかし、こうしたアレグロ楽章とは対照的に、中間楽章においては、半音階で下降するバスの上で、悲嘆にくれるようなメランコリックなメロディが大きなカーヴを描きながら、咽び泣くような繋留の不協和音を伴って歌われるのである。
 この協奏曲は、前2曲のようにカンタータ楽章として転用された形跡はなく、原曲から直接編曲されたと思われる。原曲は、両端楽章の構造的な単純さから見てケーテン時代の作と推測されるが、確かなところはわからない。前述のフィッシャーによる復元版では、ソロ楽器はオーボエ・ダモーレとされているが、ヴィオラ、あるいはヴィオラ・ダモーレであった可能性も指摘されている。
 この協奏曲においては、他のチェンバロ協奏曲とは異なり、和音を示す数字の付いた通奏低音の自筆のパート譜が残されている。これは、第2のチェンバロが通奏低音楽器としてこの作品の演奏に参加したことを示している。そこで、このディスクにおける演奏でも、通奏低音のために独奏とは別のチェンバロが使用された。私は、このディスクの録音に際して、他の2曲の協奏曲でも同じ演奏形態を試みたのだが、BWV1052とBWV1053ではこの作品におけるような効果は得られなかったので、第2のチェンバロの使用は断念した。

2台のチェンバロのための協奏曲第1番ハ短調 BWV1060
 この協奏曲の原曲も現存していないが、《オーボエとヴァイオリンのための二重協奏曲》であろうという説が有力である。原曲の独奏楽器の旋律がそれぞれのチェンバロの右手のパートに移し替えられているのだが、第1チェンバロの右手は、音型が細かく跳躍なども多い上、弦楽器的な音型が現れるのに対し、第2チェンバロの方は、旋律がずっと伸びやかでいかにも管楽器を思わせる。しかも、幾つかの旋律について、両パートの間で交換が行われないのは、これらの2つが異種の楽器であることを示している。それぞれのパートの音域や調性などを仔細に検討して行くと、第1チェンバロがヴァイオリン、第2チェンバロがオーボエのパートを基にしていることがほぼ確実になる。
 バッハの《オーボエとヴァイオリンのための二重協奏曲》は頻繁に演奏される人気の高い作品だが、実は、この《2台のチェンバロのための協奏曲》から復元されたものなのである。この曲の作曲年代は明らかではないが、ケーテン時代のものとする説が有力である。この2台のチェンバロのためのヴァージョンには自筆譜が残っていないため、成立年代についてはやはり推測の域を出ないが、同様のプロセスを経て編曲された《2台のチェンバロのための協奏曲第3番》(BWV1062)――こちらの方は有名な《2台のヴァイオリンための協奏曲ニ短調》(BWV1043)の編曲――には1736年頃に作成された自筆スコアが残っているため、BWV1060の方も同時期の作と推定される。
 アレグロの両端楽章は、どちらも極めて緊張感が高く求心的であるが、それは、それぞれの楽章で展開される様々な要素の大半が、最初のリトルネッロ(トゥッティ)に含まれているからである。第1楽章は、ハ短調と変ロ長調という2つの調が最初の4小節間で対置され、以後の展開の中では、長調と短調が頻繁に入れ替わる。このような調の組み立ては他の作品にはあまり見られないものである。終楽章はテンポの速い軽快な曲想が特徴的だが、冒頭のリトルネッロの旋律が極めて広い音域に跨っていることが曲全体に大きな広がりを与えている。この楽章では、2つのソロ・パートの対話と共に、ソロ楽器対オーケストラの対話も聴きものである。
 原曲におけるオーボエとヴァイオリンの音色の対比は、この「2台チェンバロ版」ではモノクローム的なものとならざるを得ないが、その一方、こちらの方には、テクスチュアが厚くなった分だけ音楽的内容が豊かになった、という強みがある。

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