[曲目解説]
■二台のピアノのためのソナタ ニ長調 KV448
アインシュタインは、名著『モーツァルト』(邦訳:浅井真男訳、白水社、1961)の中で、この作品について次のように述べている。「終始《ガラント》である。オペラ・ブッファのための理想的なシンフォニアの形式と主題を用いている。その明朗さを曇らせる一片の影もない。しかし両パートの均斉のとれた配分の技術、戯れる対話、装飾音型の精緻さ、そして楽器の音域の混合と十分な利用における音響感覚などのいっさいが、ぶきみなほど老練なので、一見《表面的》で娯楽的なこの作品が、モーツァルトが書いたもののうちの最も深く、最も熟した楽曲の1つとなっている。」
第1楽章はソナタ形式で書かれているが、内容的には、本稿冒頭に引用したアインシュタインの讃辞を待つまでもなく、純然たる協奏曲である。2台のピアノは、独奏楽器として親密な対話を交わしながら次第に昂揚し、興奮の度を強めながら共にオーケストラと化して行く。オーケストラを伴わない鍵盤楽器だけのための協奏曲としては、J・S・バッハの有名な《イタリア協奏曲BWV971》や《2台のチェンバロのための協奏曲ハ長調BWV1061a》などに前例があるが、この作品は同種の発想によるモーツァルト版と言える。作曲家がチェンバロを自らの私的なオーケストラと見なすような扱い方は18世紀になるとバッハやD・スカルラッティ、ラモーなどをはじめとして多くの作曲家に見られるが、モーツァルトやベートーヴェンにとってのピアノもまったく同様であった。このソナタにも、そうしたオーケストラ的なアイデアが随所に応用されている。
第2楽章もまたソナタ形式で書かれているが、声楽のアリアのような印象を強く与える。第1主題では第2ピアノによる伴奏の上で第1ピアノが旋律を奏するが、第2主題部では2台のピアノが対話を交わし、終結部では同じ旋律を交互に奏する、という具合に、2つの楽器の関わり方に様々な趣向が凝らされている。展開部は、第2ピアノのソロによる穏やかな旋律で始まるが、やがて高音部での長いトリルに付点リズムが組み合わせられると突然華やかになり、短調の導入によって曲想がにわかに哀愁を帯びるなど、非常に変化に富んでいる。
第3楽章はソナタ形式の要素を強く持ったロンド。A−B−A−C−B−A−コーダという構成で、各部分の間には、それぞれかなり長いブリッジ(推移部)がある。Bの部分が第2主題に相当する部分だが、通常のロンド・ソナタ形式ではCとBの間でAが回帰するのが普通である。この楽章ではそれが省略されているためにやや意表を突かれるが、この方が構成的に見て締まりがある。Bの部分が短調で書かれているのが、楽章全体に大きな変化と広がりを与えている。
■四手連弾のためのアンダンテと5つの変奏曲 ト長調 KV501
1786年11月4日完成(自筆作品目録)、翌87年、ヴィーンのホフマイスター社から出版された。この曲は「KV448と同様の意図によるものである。これはおそらく友人の出版社ホフマイスターの望みで、はじめは同様に二台のピアノのためのものとして着想されたが、その後もっと売行のよい四手のために完成されたのであろう。・・・魅力と響きの優美さに満ち、聴衆を魅了する効果を持つ演奏会用楽曲である。」(アインシュタイン)
ここで我々が出合うのは、「変奏曲がこんなに楽しいものとは知らなかったでしょ?」というモーツァルトのいたずらっぽい眼差しである。多分自作と思われるアンダンテの主題は、前半8(4+4)小節/後半10(6+4)小節の2部分から成り、それぞれの部分が反復する。流麗で親しみやすい旋律だが、なかなかどうして、これが一筋縄では行かないのである。4つのフレーズ(楽節)は典型的な「起承転結」構造によっているが、和声的には定石から大きく逸脱している。前半の第1の部分では、既に第3〜4小節で属調(ニ長調に向かう)。第5小節でハ長調へのドミナント(属和音)が登場したとき既に、敏感な聴き手は、この主題の尋常ならざる和声的広がりを予感するはずである。第6小節以降はハ長調、ニ長調の和音を経て主調(ト長調)に戻る。
後半はいきなり並行短調(ホ短調)で開始する(第9〜10小節)が、旋律が冒頭と同じなのでまったく違和感がない。4小節目(第12小節)でニ長調の和音(ト長調の属和音)となり、主調への回帰が示されるが、モーツァルトは続く2小節(第13〜14小節)で、ニ音のオルゲルプンクト(持続低音)上で、不協和音による色合いの変化を巧みに織り交ぜながら属和音の響きを延長する。第9小節での転調によって主調から離れたため、ここでは主調に戻る方向性をより強調することでバランスを取ったのである。古典派の4小節ずつのフレーズ構造を敢えて崩したわけだが、この、いわば余分の2小節が天才の業である。この2小節によって主題の平明さに「含み」が与えられ、雰囲気と深みが、和声的な安定性と共にもたらされたのである。この2小節間では、内声に現れる下降する旋律の連続が模倣的に扱われ、大きな広がりの感覚を作り出している。
主題から第3変奏までは、一貫した加速感がこの変奏曲の大きな特徴となっている。すなわち、主題では8分音符の流れが特徴的であるのに対し、第1変奏ではそれが16分音符のモーション(高音パートの右手)に分割され、第2変奏では16分音符の3連音符(低音パートの右手)、第3変奏では32分音符(高音パートの左手)という具合に音価が細かくなって行く。第2変奏と第3変奏で、低音パートの男性的特質と高音パートの女性的性格が見事な対照を見せるが、このようなところに、オペラの達人たるモーツァルトの面目が躍如としている。第2変奏はチェロ協奏曲。出番到来と大いに張り切るソリスト(低音パートの右手)が大真面目で技巧的なパッセージを弾きまくるのを、高音パートは黙って眺めていないで、高い音域でちょっとした旋律を弾く振りをするところがコミカルだ。第3変奏の主たる関心はもちろん32分音符を奏する高音パートの左手だが、それを挟んで、高音パートの右手、低音パートの右手と左手が、模倣的に旋律の断片をやりとりする。
第4変奏は、弾みの付いてきたスピード感を一気に中断する間奏曲。同主調(ト短調)に転調し、半音階で下降する旋律が、これまでとはまったく別の曲のような印象を与える。この暗さ・深刻さは、今までの喜悦に満ちた曲想からは何人も予想だにし得ない展開であり、こうした突然の変転を可能にする手腕が、天才モーツァルトが時として「悪魔」にたとえられる所以である(小林秀雄『モーツァルト』参照)。4つの声部が、ここでは主にフーガの手法で扱われているのは、ファン・スウィーテン男爵(1733-1803)のもとでバッハの研究に勤しんだ成果である。
第5変奏で、男女の協奏的な対話の世界がさらに拡大された姿で戻って来る。こういう曲に接すると、モーツァルトの音楽におけるオペラとコンチェルトの親近性を改めて痛感しないではいられない。「拡大されている」というのは、第2変奏と第3変奏では、低音パートの右手と高音パートの左手――すなわち内声どうし――の対照であったものが、この変奏では、低音パートの左手と高音パートの右手――すなわち外声――が対照されているからである。ここではフォルテピアノの音域の両極が用いられ、この時代のフォルテピアノの低音の音色の「厚かましい」とも言える物々しさと、高音域の透明感のある軽快さとが、文字通りの「競争」を繰り広げるのである。これはもう、完全にオペラ・ブッファの世界だ。バス歌手が自慢の低音で吼え立てるとソプラノ歌手は鈴の音のような高音を強調し、「どちらの声がより素晴らしいか」とその判定を迫っているのである。その行き着く先は、ドラマティックな変ホ長調の和音である。何という物々しい和音であろうか! ここに喜劇の粋がある。2人の役者が真剣になればなるほど、観客は笑いを堪えることが出来ない・・・
コーダでは、冒頭主題の最初の8小節がほとんど原型のまま復帰すると、その後半(第5〜8小節)の旋律を低音でもう一度繰り返す。そして、主音(ト音)のオルゲルプンクト上で、ゆったりとした16分音符の流れに続き、何と、冒頭の2小節が5度低く現れる。なるほど、そうだったのか!――主題の冒頭の2小節がト長調からニ長調へ向かったように、ここではハ長調からト長調という方向で全曲が締め括られるのである。この5度下に登場する主題はたとえようもなく懐かしい。つい今しがたまで舞台上で演じられていた華麗な虚構の世界を反芻し回想しながら、ピアニッシモでフェイド・アウトするように曲を閉じる。夢は終わった。
■二台のピアノのためのラルゲットとアレグロ 変ホ長調 KV6 deest
この未完の作品の自筆譜は、ベートーヴェンとの親密な関係で知られるルドルフ大公のコレクションの中から発見された。大公の居城であったボヘミアのクロムイジェル城の古文書館で1920年代に楽譜類の目録が作成された時、この楽譜には大公の手で「グルックの作品に違いない」と書かれていたため、長らくグルックの作品と信じられていたのだが、1960年代初めに、ゲルハルト・クロルによってモーツァルトの作品であることが確認された。
この自筆譜はスコアと第1ピアノ用パート譜から成り、スコアにおいては、36小節にわたるラルゲット部分は完成されており、アレグロ部分の方は、基本的に呈示部の終わり(第108小節)まで書き進められている。但し、第1ピアノのパートは完全だが、第2ピアノのパートにはほぼ30小節分の欠落がある。一方、パート譜のほうは第70小節までであるが、スコアに比べると、多くの強弱記号やアーティキュレーション記号が丹念に記入されている。以上の状態から次のことが推定できる。先ず、モーツァルトが、既に予定されている演奏会でこの作品を演奏するため、急いで作曲を進めたこと。その演奏会では、モーツァルト自身が第2ピアノのパートを、もう1人の奏者が第1ピアノのパートを演奏する予定であったこと(モーツァルト自身にとっては、メモ書き程度の楽譜でも十分であったが、もう一人の奏者は、演奏記号の細かく付けられた完全な楽譜を必要としていたからである)。時間に迫られていたために、作曲しながらもう1人の奏者のためのパート譜の作成を並行して進める、という、いわば異例の手順をとったこと。しかし、何らかの事情でこの曲の演奏が取りやめになったので、モーツァルトはこの作品を未完のまま放置することとなったのであろう。
では、この作品は、いつ何処で、誰と演奏する予定だったのだろうか。ヴォルフガング・プラートは、モーツァルトの筆跡から、この自筆譜の書かれた年代を1781年以降とし、アラン・タイソンは、ウォーター・マーク(紙の透かし)から1782〜83年としている。そうなると、当然浮かび上がってくるのは、1782年5月のアウガルテン・コンサート、あるいは11月3日のケルントナートーア劇場でのコンサートなど(その他の私的音楽会も含めて)である。相手役は何れも、ヨゼーファ・フォン・アウエルンハンマーであった。
1781年11月23日のフォン・アウエルンハンマー邸での演奏会で、モーツァルトとヨゼーファは、《二台のピアノのための協奏曲変ホ長調KV365》と《二台のピアノのためのソナタ ニ長調KV448》で共演した。しかし、2台の協奏曲のオーケストラの全奏による壮麗な開始部とソナタ(KV448)の出だしはとてもよく似ているのである。この2曲は、その他の点でも共通項が多い。そこで、再共演の際にモーツァルトは、KV448とは全く性格の異なる曲を書きたい、と思ったに違いない。序奏の付いた大規模なソナタ楽章の中で交響曲と協奏曲の要素を結び合わせる、という雄大な構想は、モーツァルトの情熱の大きさを物語っている。
この曲の冒頭は、KV365ともKV448とも全く印象を異にする。オープニングで、2台のピアノは、親密に、優しくいたわるような旋律を交替で対話風に奏するが、ラルゲットの中程で短調に転調すると、何とも名状しがたい憂いと憧れが独特の雰囲気を作り出すのである。アレグロに入ると、協奏的な世界が展開するが、KV448とはやや趣きを異にしながらもオーケストラ的な響きが実現されている。
展開部以降には――呈示部における第2ピアノの欠落部分も含めて――モーツァルトの弟子であったマクシミリアン・シュタードラー(1748-1833)による補筆完成版があるが、展開部が類型的かつ単調なので失望させられる。そうした凡庸さからこの魅力的な作品を救い出したのが、ピアニストでモーツァルト研究家としても知られるアメリカのロバート・レヴィンである。レヴィンは即興演奏の名手でもある。レヴィン以外にも、例えばパウル・バドゥーラ=スコダなどは非常に凝った補筆版を作ってイェルク・デームスと録音しているが、バドゥーラ=スコダの版が「編曲」の感を払拭できないのに対し、レヴィンは「モーツァルトもかくや」と思われるような見事な補筆を行っているのである。レヴィンは《レクイエム》をはじめとしてモーツァルトの他の未完の作品の補筆においても非常に優れた仕事をしている。この曲においても、基本的にモーツァルト自身による素材のみを用いながら、即興的な感覚を生かし、簡潔ながら説得力のある展開部を作ることに成功している。華麗なコーダもまた、演奏者にも聴き手にも充実した満足感を与える。この曲の序奏部はかなり長大なので、締め括りに際して、コーダは是非とも必要なのである(ちなみに、シュタードラーの版にもバドゥーラ=スコダの版にもコーダはないが、尻切れトンボの感は免れない)。
レヴィンはこの補筆版をペータース社から1992年に出版している(Edition Peters Nr.8721)が、このディスクでの演奏においては、レヴィンの補筆に従いながらもペータース版は用いず、トレモロの和音構成や2つのパートでの旋律の分担の仕方を工夫した独自の版を用いている。
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