The Viennese Fortepiano
 and the World of Fantasy
 Yoshio Watanabe, Fortepiano

 幻想のフォルテピアノ《月光》
 〜クラヴィーアの歴史と名器〜
 渡邊順生(フォルテピアノ)
幻想のフォルテピアノ《月光》

レコード芸術2005年9月号月評
特薦盤
[推薦]濱田滋郎

 日本有数のチェンバロ奏者兼フォルテピアノ奏者である渡邊順生が、おそらく今後シリーズとなっていきそうな『クラヴィーアの歴史と名器』の発端を飾る1枚として、1790年頃製のオリジナル・フォルテピアノを用い、ハイドン、C・P・E・バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンと、古典期の最重要人物による名曲を集めたりサイタルを発表した。フォルテピアノはウィーンのフェルディナント・ホフマン製で、その響き、その味わいには、問題なく「これこそ本物」の気分が漂う。しかもそのうえ、ハイドンは 《ソナタ》第49番を モーツァルトは 《ソナタ》イ短調、べートーヴェンは 《月光》と揃え、C・P・E・バッハの作品も明快な 《ロンド》 変ロ長調と多感様式の見本のような"音による自画像"《幻想曲嬰ヘ短調》とを対比させ、ベートーヴェンのもう1曲は、有名でこそなけれ実のある 《ルール・ブリタニア変奏曲》なのだから、文句のつけ処もない。これまでフォルテピアノに縁のなかった人でも、この1枚を繰り返し聴くうちには、現代ピアノとはべつな領域において独特な美をはぐくんだ楽器、フォルテピアノの真髄がどこにあるかをきっと把握されることだろう。渡邊順生は、それだけの説得力を身に具えた音楽家である。ひとつの見方をするなら、古典期の秀抜な楽曲たちを通じて、己れの知性と感性とを多面的に披瀝し得たこのCDは、彼という人間=芸術家の、すばらしく行きとどいたポートレートだとも言える。もちろん、これは、フォルテピアノという楽器の理想的ポートレートでもあり得ている。

[推薦]那須田務

 「チェンバロの歴史と名器」のシリーズのフォルテピアノ編「幻想のフォルテピアノ《月光》」。ここでいう「幻想」とは「自由な発想の意であると同時にそれに基づく即興的な演奏」ライナー・ノーツの渡邊氏自身による解説から)を意味する。いわゆるウィーン楽派にカール・フィリップ・エマヌエル・バッハのピアノ曲、それもいずれも音楽的表出力の高い作品を加えた選曲はまさにタイトル通りのものといえよう。使用楽器はF・ホフマン(1790年頃)のオリジナル。ハイドンのエステルハージ家最後の時期にあたる頃に作曲された、大規模な楽章をもつソナタ変ホ長調の第1楽章はパッションと煌くばかりの言葉(アーティキュレーション)に、そして第2楽章は溢れるばかりの歌に満ちている。C・P・E・バッハの 《ロンド》 変ロ長調は次第に熱して、音楽に没入していくのだが、そのさまは実にスリリング。《C・P・E・バッハの感情》 は意識の深まりがすばらしく、大きなスケールでカール・フィリップ・エマヌエルのミクロコスモスを現出させる。モーツァルトのイ短調のソナタの第1楽章はまさに激白する魂だ。冒頭から熱いパッションを漲らせ、迫真のフォルテは後半に至って一層の凄みを帯びる。やわらかな情趣の波打つ、中間楽章も歌心いっぱい。そして、終楽章は狂おしいほどの焦燥感に身を焦がす。《月光》 の第1楽章の冒頭でモデレーターを使うのはしはしば行なわれることだが、そのくぐもった、しかし、魅力的な音色と陰影に富んだ表現が味わい深い。第2楽章は素朴で野趣に縊れ(特にトリオ)、ブレスト・アジタートは行き場のない感情を抱えて疾駆する。息もつかせぬ迫力だ。どの曲においても解釈は割合にオーソドックスだが、エモーショナルな表現がすばらしく、しばしばモーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンの器楽曲はその内面において「同じロマンティックな精神を呼吸している」と論じた、E・T・A・ホフマンの言葉を思い起こさせる。

[録音評]神崎一雄

 "クラヴィーアの歴史と名器"という副題を持つ1枚。渡邊には「チェンバロの歴史と名器」という先行する2巻があり、関連シリーズを構成するようである。ここでは1790年ごろにF・ホフマンが製作した楽器が弾かれている。木の枠を持つ鍵盤楽器らしい柔らかい感触が近めの収録でリアルに、弱音方向のニュアンスも精細に捉えられている。2004年5〜6月、秩父ミューズパーク音楽堂での小鳥幸雄による収録。<90, 93>
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