Cembalo, Clavicordo & Fortepiano
 J.S.バッハ半音階的幻想曲とフーガ/渡邊順生-
 批評
(レコード芸術・器楽曲部門月評より)



[特選盤]

J・S・バッハ:半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903/前奏曲、フーガとアレグロ 変ホ長調 BWV998/組曲(パルティータ)ハ短調 BWV997/カプリッチョ《最愛の兄の旅立ち寄せて》変ロ長調 BWV992/ソナタ ニ短調 BWV964 渡邊順生(チェンバロ)

[ALM=ALCD1018 \.3059]

[推薦]

渡邊順生がチェンバロによって別項、シュタイアーで触れた偽作(?)を含むJ・S・バッハのさまざまの時代の作品を演奏しており、アルバム・タイトルは最初に置かれた作品《半音階的幻想曲とフーガ》。楽器は渡邊が同じバッハの《パルティータ》全集でも使用していた1715年ごろのミヒャエル・ミートケのレプリカ。今月聴いたクラヴィーアによるバッハのうちで、この渡邊の演奏はもっとも格調を感じさせるものだ。前記の《パルティータ》と同様、きわめて綿密なアーティキュレーションによって克明に音形を弾き分け、バッハの音楽が立体的に鮮やかに語りかけてくる。これは渡邊のテクニックと学問的な様式研究の見事な成果である。その演奏は当世風の“親しみやすいバッハ”といったアプローチとははっきりと一線を画すものである。とはいっても渡邊の演奏は誇張の勝った仰々しいもの、あるいはしかつめらしいものではない。それはまさに活き活きと語りかけてくる音楽であり、時空を越えてバッハの音楽を共有している普遍性を持っている。じっくりと腰を据えて聴くべきバッハである。《パルティータ》全集の解説は渡邊自身のすぐれた論文だったが、このアルバムの解説も世界のバッハ研究の第一人者である小林義武氏による最新の音楽学研究の成果を反映するものであり、渡邊の演奏様式への言及を含めきわめて興味深い。[武田明倫]

[推薦]

チェンバロ奏者あるいはフォルテピアノ奏者として、すでにいくつかの価値あるディスクを出してきた渡邊順生の新盤。1950年生まれ、東京でデビュー・リサイタルを持って20年になるという彼は、もはや斯界に動かぬ地歩を築いた中堅であり、当CDを聴くにつけ、ますます円熟を加えつつある。このたびは1715年ごろベルリンで作られたミヒャエル・ミートケの銘器をモデルにアムステルダムのブルース・ケネディが製作したチェンバロを用い、すべてJ・S・バッハの楽曲で固めたリサイタルを聴かせてくれる。《半音階的幻想曲とフーガ》から始め、そのあと《前奏曲、フーガとアレグロBWV998》、《組曲ハ短調BWV997》と、通常“リュート曲”に分類される2曲を並べていることは興味ぶかい。これらの演奏は、リュート奏者たち、ひいては両曲を編曲により手がけることの多いギター奏者たちにとっても、大いに参考になることだろう。さらにカプリッチョ 《最愛の兄の旅立ちに寄せて》、そして結びには 《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番イ短調》を移調のうえチェンバロ用に書き直した《ソナタ ニ短調BWV964》を置くという、演奏者の器量を味わうためにもふさわしい好プログラムになっている。総じて演奏ぶりは、技巧上から万全なのはもとより、表現上の微妙なニュアンスに富んで、終始感興ゆたかなものとなっている。ブックレット内には近年、渡邊がクラヴィコードの演奏法をも究め、そのことがチェンバロによる当録音にも役立ったとの記述があるが、聴いていてそのことは、実感を伴ってよく理解される。チェンバロにおいてもまた、一音一音は“手づくり”をもって生み出され得るし、それでこそ音楽にも真の生命が宿ることになる。調律法が平均律によっていない事実も、全体の趣をいっそう得も言われぬものとしている。 [濱田滋郎]

[録音評]

高・低音のバランスよく、シャツキリしたトーンにまとめられている。この楽器はマイクを通すととかく近接感が強調されやすいが、うまく調整されており、再生音量が適切なら華麗なチェンバロのトーンが楽しめる。混濁や歪みとは遠いピュアなデジタル・サウンドを生かすには、この楽器の場合特に、音量が過大にならないよう注意が必要。
<90−93>相澤

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