Cembalo, Clavicordo & Fortepiano
J・S・バッハ《イタリア協奏曲》渡邊順生
 批評
(レコード芸術[1999年12月号]・器楽曲部門月評より)



[特選盤]

J・S・バッハ:二台のチェンバロのための協奏曲第2番ハ長調BWV1061a/イタリア協奏曲ヘ長調BWV971/フランス風序曲ロ短調BWV831■W・F・バッハ:二台のチェンバロのための協奏曲ヘ長調   渡邊順生・崎川晶子[チェンバロ]

(ALMDALCD1023)\.3059
[推薦]

渡邊と弟子である崎川によるアルバムはJ・S・バッハの《二台チェンバロのための協奏曲》に始まり、渡邊のソロで《イタリア協奏曲》と《フランス風序曲》、そして最後に大バッハの長男であるW・Fバッハの《二台チェンバロのための協奏曲》で締めくくる。録音は1997年6月。
 例によってアルバムには渡邊自身のノートがあり、そこでは今回使用した3台のチェンバロに関する詳細な記述がある。いずれも(父子の作品とも)1730年代の作品であり、またバロックの“協奏様式”によるものであることも興味深い。渡邊のチェンバロ演奏には時代楽器を用いることと同時に、音楽においても“真正なるもの”を追求しようとする姿勢が強くうかがえる (この点では別項のポリーニに通じる)。音楽の読み方、弾き方、楽しみ方にはいろいろあってよいが、筆者はこの渡邊の姿勢とその成果(それはけっして聴き手に媚びることがない)がとても好きだ。そこではバロックの特徴でもある、ある種の格式が強く主張されている。
 そうした枠組みのなかで渡邊は見事なアーティキュレーション、タッチの微妙な変化と一瞬の間で創り出されるソフトな息づきによって、活き活きとした表現を生み出している。崎川との共演も同じ理解によるもので見事。そうした演奏でバッハ父子が同じ頃に同じ形式で書いた、しかも世代の違いを感じさせる2曲を聴けるのも貴重だ。[武田明倫]

[推薦]

先般もゴルトベルク変奏曲のCDで、あぶらの乗り切った境地を披露した渡邊順生が、このたびは『クラヴィーア練習曲集第二巻』(1735)を飾る2曲、《イタリア協奏曲》と《フランス風序曲(パルティータロ短調)》 を中心に置き、その前後にJ・S・バッハ自身と長子ヴィルヘルム・フリーデマンによる、それぞれの《二台のチェンバロのための協奏曲》を置くという、十分以上に興味ぶかいプログラム立てで新録音を世に問う。第2チェンバロはシャルル・ケーニヒやノエル・スピースのほか、渡邊からも薫陶を受けている若手奏者の崎川晶子。師に伍して、聴き劣りがしないだけの指の運びと音楽性を示しているのはなによりだ。ちなみにJ・S・バッハのハ長調協奏曲BWV1061aは、よく知られた《BWV1061》から弦楽オーケストラのパートを省いたものだが、これはチェンバロ二台のみの形がオリジナルであるらしい。一台の曲目、二台の曲目とも、渡邊の演奏は、今回も、言葉の最良の意味で“乗り”がいい。自発的な感興の豊かさと、バッハ演奏に必要な厳格さ、精密さが、ここに鮮やかな接点を結んでいると評せよう。ヴィルヘルム・フリーデマンの作品には、すでにホグウッドとルセ、コープマンとマトーなどの聴くべき演奏が紹介されているが、この新盤も、それらの中で大いに新鮮な魅力を主張できるものだ。なお、渡邊順生は、ここでも彼の常として、楽曲についてのみならず、使用楽器に関してもすこぶる詳細な解題を添えている。この良心的な仕事ぶりは制作会社の採算を度外視した(?)協力なしには成し得ないものであろう。[濱田滋郎]

[録音評]

広くはないが響き97年、秩父ミューズパーク音楽堂で収録。パワフルなサウンドだが、オン・マイクのジンジンした音でもなく、オフのもやついた音でもない。40Hzを中心に猛烈な低域演奏ノイズが入るが、単なるノイズか、音楽の一部として納得すべきものか。全体に透明感と切れ込みがいまいちで、秩父の山奥にしてはほこりっぽい感じだ。〈92点〉[長岡]

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