横浜みなとみらいホール・小ホール レクチャーコンサートシリーズ
「ピアノの歴史」(全8回)

第2期

第8回:20世紀の幕開け
日時
2007年12月8日(土)午後6時
講師
安田和信
演奏
小倉貴久子(ピアノ)
使用楽器
−ベヒシュタイン社・製(ベルリン、1913) 修復(予定):江森浩、2007
音域AAA-c5(88鍵)/単弦(巻線)AAA-FF/二重弦(巻線)FF#-BB/
三重弦(巻線)BB-C/三重弦C#-c5/交叉弦 総鉄骨フレーム
ハンマーヘッド=羊毛
アクション=シュトスメヒャーニク(エラール式ダブル・エスケープメント・アクション)
ペダル2=ダンパー/ウナ・コルダ 寸法:全幅157 x 全長270
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□内容
 第7回のテーマが、いわば「ドイツ・ロマン主義の拡散」であるのに対し、第8回のテーマは「反ロマン主義」あるいは「ロマン主義の克服」です。前半では、ヤナーチェクとバルトークを中心に、オーストリア=ハンガリー帝国の周辺部を為す東ヨーロッパ地域における民族主義的な音楽について考えます。前期ロマン派においても、ショパンやリストの一部の作品には濃厚な民族主義の匂いがありますが、彼らの創作姿勢には、ドイツ・ロマン主義に対する違和感は全く感じられません。それに対して、生地モラヴィアにこだわり続けたヤナーチェクやハンガリーのバルトークにおいては、反ドイツ・ロマン主義の意識が強く見られ、音楽語法も響きもロマン派音楽とは一線を画しています。
 後半では、フランス印象主義の雄ドビュッシーを中心に、世紀末から20世紀初頭のパリにおける新しい潮流を追います。また、ここではグラナドスらのスペインの民族主義的な音楽も取り上げます。これらのスペイン音楽は、同じ民族主義といっても東欧のそれとは大いに色彩が異なります。
 この時代には、ドイツ=オーストリアにおいては、ロマン主義を継承・維持しようとするリヒャルト・シュトラウスやプフィッツナー、無調音楽への傾向を強めるシェーンベルクやヴェーベルン等の様々な動きがあり、ロシアにおいては、いわゆる国民楽派に対するスクリャービンやストラヴィンスキーらの活発な活動も顕著です。そして、そうした全ての潮流がやがて来るべき20世紀の「30年戦争」に巻き込まれて行きます。
□SPレコードのピアノの音色
 この回で使用するベヒシュタインのピアノは、第2次世界大戦の頃まで、特にドイツとイギリスで広く使われた戦前の代表的なピアノでした。1853年にベルリンで創業したカール・ベヒシュタインは、リストやヴァーグナーの高弟として名高いハンス・フォン・ビューローの友人で、ビューローはベヒシュタインのピアノの優れた特質を認めて師匠のリストに推薦しました。リストはベルリンのベヒシュタインの口上を訪れ、彼のピアノを称賛したと言います。ベヒシュタインのピアノは、リストやビューローとは全く傾向・趣味の異なるドビュッシーのたいへん気に入るところともなりました。ドビュッシーのピアノといえば、我々はすぐフランスのエラールやプレイエルと結びつけて考えがちですが、実際にドビュッシー自身が特に好んだピアノは、ベルリンのベヒシュタインとライプツィヒのブリュートナーでした。
 ベヒシュタインはイギリスでもたいへん人気があり、ロンドンの有名なコンサートホールである「ウィグモア・ホール」はベヒシュタインの作ったホールです。20世紀前半の「SPレコードの時代」には、ベヒシュタインのピアノは数々の録音にも用いられましたが、特に、アルトゥール・シュナーベルやエトヴィン・フィッシャーが好みました。識者のフルトヴェングラーもベヒシュタインのピアノを愛用していました。当時のドイツにおけるコンサートなどでは、ポスターにわざわざ「ベヒシュタイン・ピアノを使用」というような断り書きの入ったものも珍しくありません。
 外見は今日のスタインウェイのコンサートグランドとそっくりですが、ずっと柔らかみのある音色を持っています。それは、正にSPレコードで聴くピアノの音色です。SPレコードに録音されたピアノの音は、録音が古いためにあのような音がするわけではありません。むしろSPレコードは、実際のピアノの音色をかなり忠実に伝えていると言えるでしょう。この回では、そうした「SPレコードのピアノ」の実際の響きを楽しんで頂きたいと思います。
□演奏曲目
ヤナーチェク:「草かげの小径」より
バルトーク:プルーマニア民族舞曲集
グラナドス:「スペイン舞曲」より「アンダルシア」
ドビュッシー:喜びの島
スクリャービン:練習曲作品42の5
ラフマニノフ:前奏曲作品23の5



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