横浜みなとみらいホール・小ホール レクチャーコンサートシリーズ
「ピアノの歴史」(全8回)

第2期

第6回:ポーランドの憂愁〜ショパンとその周辺〜
日時
2007年7月14日(土)午後6時

講師
野本由紀夫
演奏
有田千代子(ピアノ)
長明康郎(チェロ)
使用楽器
プレイエル社・製(パリ、1839)
音域CC-f4(78鍵) アクション=シュトスメヒャーニク(イギリス式シングル・アクション)
ペダル2=ダンパー/ウナ・コルダ 寸法:全幅126cm x 全長223cm
□内容
 ショパンの時代背景とショパンの音楽の特質に迫ります。ショパンの生まれたポーランドという国の特殊性や、文化的背景の違い、また、フィールドやオギンスキの作品についても語った上で、ショパン自身が実際に弾いたプレイエル社製ピアノによりショパンのピアノ作品を検証します。
□このシリーズにおける初めてのイギリス式ピアノの登場
 ピアノという楽器は、18世紀後半以来常に、イギリス式とウィーン式を二大様式として発展しました。しかし、有名作曲家がオーストリアやドイツに偏っているせいもあり、本シリーズでは、これまでイギリス式ピアノが登場する機会がありませんでした。
 1770年にチェンバロ及びハープの製作者としてパリに工房を開いたセバスティアン・エラールは、1777年、イギリス式のスクウェア・ピアノの製作を始めます。1766年に開発され、イギリスの中流家庭を席巻したツンペのスクウェア・ピアノは、音量は小さいが微妙なニュアンスに富む室内楽的な楽器として非常な好評を獲得しました。それに対し、バッカースが開発したイギリス式グランドの最初のモデルは、音量ばかり大きくてニュアンスに欠けると極めて不評でした。ロンドンのブロードウッドはまずスクウェア・ピアノ(ツンペの後継機種)で評価を確立。1790年近くになるとグランドでも優れた楽器を作り出した。一方、後発のエラールのグランドはブロードウッドの水準に追いつけず、音量は大きく、音色も華麗でしたがニュアンスを欠いていました。しかし、ハープのメーカーでもあったエラールは、様々な機構を工夫しながら、次々に特許を取得して行きます。その点でエラールは、技術革新の時代を先取りしていたとも言えるかも知れません。そうしたエラールの様々な工夫の中で最も高く評価されているのが、1822年に特許を取った「ダブル・エスケープメント・アクション」(今日のピアノのアクション)の開発でした。
 しかし、その新しいアクションに、全てのピアノ・メーカーがすぐに飛びついたわけでは決してありません。ブロードウッドも、また、1807年にピアノ製作の世界に参入したパリのプレイエルも、従来からのシングル・アクションを工夫しながら、独特な個性のあるピアノを製作しようと努力を続けていました。ショパンは、エラールのピアノの機能性に魅かれながらもプレイエルのピアノをいっそう好み、ロンドンに渡った際には、ブロードウッドのピアノを「イギリスのプレイエル」と称賛したのです。
□演奏曲目
フィールド:ノクターン第4番イ長調
ショパン:ノクターン ロ長調作品32の1
2つのマズルカ作品17の4、作品50の3
幻想ポロネーズ作品61
チェロとピアノのためのソナタ作品65より
ほか



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