横浜みなとみらいホール・小ホール レクチャーコンサートシリーズ
「ピアノの歴史」(全8回)

キー・ノート・レクチャー「ピアノの歴史を考える」

第1回:ピアノの誕生
日時
2006年12月16日(土)午後4時
キー・ノート・レクチャー  「ピアノの歴史を考える」
― 貴族の社会から市民の社会へ 1700年〜1900年 ―
講師
松本彰(新潟大学教授)
ピアノが生まれたのは、今から300年前の1700年頃のこと、音楽史で言えば、バロック音楽の真っ只中でした。その後、ヨーロッパに市民の時代が到来することによって、ピアノは、より新しい時代の楽器、「市民の楽器」として発展していきます。ピアノの誕生から19世紀末まで、音楽史ではバロックから古典派、ロマン派へという時代、一般史では、貴族の時代から市民の時代へという時代に、音楽と社会がどのように変化していったのかを考えます。

第1回:ピアノの誕生
講師
渡邊順生
演奏
大塚直哉
使用楽器
久保田彰・作(2005)クリストフォリ・ピアノフォルテ(ライプツィヒ、1726)の拡大レプリカ(久保田チェンバロ工房所蔵)
音域
4オクターヴと6度/58鍵GG-e3、全二重弦、
ストップ
手動式ウナ・コルダ
□18世紀におけるピアノの誕生と発展
黎明期=1700〜c1730
 バルトロメオ・クリストフォリによるピアノの発明(1700)とその後の試行錯誤の過程に相当する時期。また、ドイツにおけるピアノ前史すなわちパンタレオン・ヘーベンシュトライトによって脚光を浴びたパンタレオン(大型ダルシマー)が、ドイツ東部特にザクセン選帝侯領において、様々な楽器作者や音楽家に対して、鍵盤付ダルシマー開発への関心を喚起した時期がこれに相当する。
初期=c1720〜c1770
 この時期に至ってクリストフォリはピアノ製作のメソッドを確立。弟子のフェリーニもまた、師匠のデザインに基づく楽器を製作し、一定の需要を得る。ポルトガル、スペインにおいても、クリストフォリ=フェリーニのピアノフォルテを模倣した楽器が製作される。ドイツにおいては、マッフェイのパンフレット(1711)のドイツ語訳が現れ(1725)、複数の製作家がその製作に挑戦するが、ようやく1740年代になり、ゴットフリート・ジルバーマンがクリストフォリのピアノフォルテを実見することにより、優れたピアノフォルテの開発に成功、プロイセン王フリードリヒ2世の後ろ盾を得る。イギリスにおける初期のピアノの製作状況は判然としないが、ある程度以上の関心を喚起したことは確実で、楽器の試作も行われたと推定される。
確立期=c1760〜180
 確立されたピアノと評価できるものの中で最も古いのは、1766年にロンドンで生産が開始されたズンぺ(独名ツンペ)のスクウェア・ピアノである。この時期のドイツでは、ジルバーマンのピアノの他に、多数のスクウェア・ピアノが製作された模様であるが詳細は不明である。南ドイツにおいては、レーゲンスブルクのシュペートによるタンゲンテンフリューゲルが一定の評価を得る。
 1770年代の終わり頃、アウクスブルクのシュタインによるプレルツンゲンメヒャーニク(後にウィーン式アクションと呼ばれるシステム)を確立したことで、ドイツのピアノの歴史は新しい局面を迎える。それまで鍵盤楽器については後進的であったウィーンに、ヴァルター、ホフマンをはじめとする優れた製作家が並び立ち、同時期に名声を獲得したロンドンのブロードウッドをはじめとする諸メーカーとの間で競争が起こる。ズンぺのスクウェア・ピアノの普及によって、需要の大きさではロンドンが先行した印象が強いが、1790年代にはこれら2つの全く異なる方式による勢力はほぼ拮抗した感がある。


□内容(ピアノの誕生)
 第1回「ピアノの誕生」は、「第1部イタリア・イベリア半島編」と「第2部ドイツ編」の二部構成。
 先ず、ピアノについて考える大前提として、「ピアノ」という楽器が「鍵盤付ダルシマー」であることを理解する必要があるでしょう。ダルシマーは箱に弦を張っただけの単純な楽器であるが、一般にはよく知られていないので、取っ付きにくいと考えられやすいのですが、高度に発達した鍵盤楽器である「ピアノ」よりも余程親しみやすいものです。
 第1部では、先ず、1440年から2世紀半に及ぶピアノ開発前史に簡単に触れることで、クリストフォリによる発明が如何に画期的なものであったかを、アクションの解説等を交えながら説明します。特に重要なのは、鍵(キー)の上下運動を回転運動に変換した、ということです。クリストフォリの他の発明についても言及して、クリストフォリの楽器製作家としての特殊な立場、天才的発明家として存分に腕をふるうことの出来た環境などについて説明します。クリストフォリのピアノの普及に大きな貢献をしたと思われるドメニコ・スカルラッティの生涯と作品についても解説します。
 第2部では、ジルバーマンと彼のピアノの開発にJ・S・バッハが如何に関わったかが中心となります。ザクセンにおける鍵盤付ダルシマー開発熱の昂りは、バッハにも影響を与えたのでしょうか? フリードリヒ大王の御前でバッハがジルバーマン・ピアノによって演奏したとされる《3声のリチェルカーレ》は、バッハとピアノの関わりを考える際には欠かすことの出来ないものです。その後、ベルリンの宮廷における鍵盤楽器の名手、C・P・E・バッハは、ドイツにおけるピアノ音楽の父として活躍。彼の多数の鍵盤作品の中には、フォルテピアノ(この名称は、恐らくジルバーマンの命名によるもので、C・P・E・バッハによって普及した)に適したもの、フォルテピアノのために書かれたものも少なくありません。C・P・E・バッハがハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの音楽に与えた影響の大きさを指摘して、この回を終えます。


□演奏曲目
D・スカルラッティ:4つのソナタ ハ長調K.420/ト長調K.146/イ長調K.208/ニ長調K.492
ヘンデル:シャコンヌ(チャッコーナ)ト長調
J・S・バッハ:前奏曲嬰ハ長調(平均律クラヴィーア曲集第1巻より)
前奏曲とフーガ変イ長調(平均律クラヴィーア曲集第2巻より)
前奏曲ハ短調(平均律クラヴィーア曲集第2巻より)
3声のリチェルカーレ(《音楽の捧げ物BWV1079》より)
C・P・E・バッハ:ヴュルテンベルク・ソナタ第1番イ短調Wq.49-1



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