横浜みなとみらいホール・小ホール レクチャーコンサートシリーズ
「ピアノの歴史」(全8回)


シリーズ全体の構想(企画のことば)   渡邊順生

 ピアノという楽器は、1700年にイタリアで発明され、以来約300年間、様々な国・様々な時代によって姿かたちを変え、およそ100年あまり前の19世紀末になって、今日のコンサート・グランド・ピアノに近い形が出来上がりました。変わってきたのは形だけではありません。音色や音量もまた、時代の移り変わりに応じて様々に変化して来ましたし、そのもとになる音を出す機構にも、ピアノに携わった数多くの楽器製作家や音楽家たちの知恵と感性が反映されているのです。その変化の過程は、単純に「進歩」の一語で片付けられるものではありません。もしショパンが、現代のピアノを弾いていたら、彼は決して我々がよく知っているあの素晴らしい作品群を生み出しはしなかったでしょう。モーツァルトについても、ベートーヴェン、あるいはリストなどについても、その事情は基本的に変わりません。それぞれの時代には、それぞれの時代の素晴らしいピアノがあり、それが天才たちの想像力や夢をかき立てたのです。19世紀の終わり頃になって、ピアノの形が現代のものに極めて近くなっても、音色はかなり異なっていました。スタインウェイのグランドが今日のような音を出すようになったのは、たかだかこの半世紀あまりのことに過ぎません。
 このシリーズは、このようなピアノという楽器とそのために書かれた音楽の歴史を、時代の流れに沿って辿って行こうというものです。各回の講師には、それぞれの分野において今日の日本を代表する研究者を迎え、また、それぞれのタイプのピアノに習熟した選りすぐりの奏者が演奏を担当します。ただし、一回ごとのレクチャーにおいては、必ずしも楽器の問題のみにこだわらず、それぞれの作曲家や背景となった時代の音楽の諸相などが興味深く扱われることになるでしょう。
 このシリーズでもう1つ特筆すべきことは、主役の1つである楽器の陣容の豪華なことです。ホフマン、シュトライヒャー、プレイエルなどの名器を完全に修復された状態で揃えている楽器博物館は、欧米にもほとんど例がありません。これらの楽器のほとんどは個人蔵で、それぞれの楽器は日頃から十分に弾き込まれ、修理や調整を繰り返してほとんど最高の状態で保守されています。そのようなことは、1台1台の楽器にそれぞれの所有者が限りない愛情を注いでいるからこそ可能なのであり、博物館等の楽器には初めから望むべくもありません。だから、このシリーズでは、ウィーンやパリで聴く同型の楽器よりも格段に美しい響きを聴くことが出来るのです。そうした意味でこのシリーズは、世界にも例を見ない画期的なものであります。そして、このような企画の実現は、各々の楽器の持ち主の、その美しい響きを出来るだけ多くの人々に伝えたいという、熱意の賜物なのです。



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