Cembalo, Clavicordo & Fortepiano
 チェンバロの歴史と名器[第1集]/渡邊順生
 解説


 □「名器」の条件
 ■使用楽器について
 □「チェンバロ」の「モデル」はリュート
 □DISC I イタリアのチェンバロ
 □DISC II フランダースのチェンバロ
 □曲目一覧

使用楽器について

 このディスクの録音に使用した4台のチェンバロは、いずれも上で述べた「名器の条件」に適った楽器である。

 (A)アルピコルド(多角形ヴァージナル) 製作者:柴田雄康、製作地:東京、製作年:1992年、16世紀イタリア様式(特定のモデルなし)

 (B)チェンバロ(一段鍵盤) 製作者:柴田雄康、製作地:東京、製作年:1990年、17世紀イタリア様式(特定のモデルなし)

 (C)チェンバロ(一段鍵盤) 製作者:マルティン・スコヴロネック、製作地:ブレーメン、製作年:1980年、18世紀イタリア=ポルトガル様式(特定のモデルなし)

 (D)チェンバロ(二段鍵盤) 製作者:マルク・デュコルネ、製作地:パリ、製作年:1999年、17世紀フランダース様式、モデル:ヨハネス・ルッカース(アントワープ、1624年)作

 1枚目のディスク「イタリアのチェンバロ」ではA、B、C3台を使い分け、もう1枚の「フランダースのチェンバロ」ではD1台を使用した。

 Aは、台形のような形状の響板をもち、手前の長辺のほぼ中央から鍵盤が突き出ている。アルピコルドという名称は、響板上のブリッジ(弦振動を響板に伝える)の形状がハープ(伊:アルパ)に似ているところから来ている。現存するチェンバロ中で最も古いタイプであり、弦は1組なので、音色の切り替えは出来ない(→『チェンバロ・フォルテピアノ』――以下「本書」と約す――p.35〜37、p.93〜95)。
 Bは、典型的な17世紀イタリアの小型のチェンバロで、8’(実音のピッチ)の弦が2組張られているので、レジスターの切り替え操作によって3種類の音色が得られる。音域はC−c3の4オクターヴ。
低音域が、ショート・オクターヴといって、Eのキー(鍵)に対応する弦をCに、F#をDに、G#をEに調律してある(→本書第1章及び第2章)。
 CはBよりもずっと大型で、ケース(楽器の外壁部分)もずっと厚手である。今日こうしたタイプのチェンバロは、専ら、ドメニコ・スカルラッティと彼の強い影響を受けたスペインの作曲家アントニオ・ソレルのソナタを演奏する目的で製作される。発想はイタリア的だが、実際に現存するこのタイプの楽器は、18世紀後半にポルトガルで作られたものである。また、記録から見る限り、スカルラッティが後半生を捧げたスペイン王妃マリア・バルバラが愛用した楽器の中に、数台、同種のチェンバロが含まれている(→本書第2章及び第6章)。
 Dは、17世紀前半に未曾有の名声を欲しいままにしたルッカース一族のチェンバロのレプリカである。モデルとなった楽器は、現在、コルマール(アルザス)のウンターリンデン博物館が所蔵するもので、現存するルッカース一族のチェンバロの中でも特に優れたものである。
 ルッカース一族の開祖ハンスは16世紀の最後の四半世紀にフランダース地方(現在のベルギーのほぼ北半分にあたる)の中心地であるアントワープで、チェンバロ製作家としての地歩を確立した。そして、彼の後を継いだヨハネスとアンドレアス兄弟の時、一族のチェンバロ製作は飛躍的な発展を遂げることになる。彼らの工房で大量に作られる楽器は近隣諸国にもどんどん輸出された。ルッカースのチェンバロでも特に贅沢なモデルには、ブリューゲルやルーベンスの絵が描かれた。フランダースの東側に隣接するオランダでは、早くも1604年に、スウェーリンクがアムステルダム市のためにルッカースのチェンバロを購入し、フランスでは1610年代にアンリ4世の未亡人であるマリー皇太后が王女エリザベートのためにチェンバロを発注した。その後、イギリスのチャールズ1世の宮廷もルッカースの楽器を購入したという記録がある。フランス・クラヴサン楽派の創始者といわれるシャンボニエールもまた、ルッカース一族の一員であるヨハネス・クーシェ(ヨハネス・ルッカースの甥で後継者)の楽器を好んで用いたと伝えられる。ルッカースのチェンバロは、イタリアを中心とするそれまでのチェンバロとは全く構造を異にしており、音色はやや硬質だが伸びのよい美しいもので、特に中音域の豊かな響きは特筆に値する(→本書第3章)。
 ルッカースのチェンバロは、通常、8’(実音のピッチ)と4’(1オクターヴ高い)という2組の弦をもっていたが、その後時代が移り楽器に対する要求や音色の好みが変化すると、新しい時代の趣味に合わせて改造された。
 ルッカース一族が製作した二段鍵盤のチェンバロは、「移調楽器」と呼ばれるもので、通常の二段鍵盤の楽器とは根本的に発想を異にしたものであった。通常、二段鍵盤のチェンバロは、上下の鍵盤によって異なる音色を対照させる――「コントラスティング・ダブル」と呼ばれる――。しかし、ルッカースの移調楽器においては、弦は一段鍵盤と同じく8’と4’が1組ずつで、2つの鍵盤が相互に5度ずらされた位置に設置されていた。同じ曲でも、上鍵盤で弾くか下鍵盤で弾くかによって、ピッチが5度(あるいは4度)上がったり下がったりするのである。これは、ピッチの異なる2つの楽器を1台分のケースの中に収める、という複合楽器の発想であった(→本書p.152〜155)。
 しかし、フランスにおいては音色を対照させる二段鍵盤のチェンバロが好まれ、フランス人達は、既に17世紀の前半からコントラスティング・ダブルを作り始めていた。従って、世紀の後半になると、フランスでは、ルッカースの移調楽器をコントラスティング・ダブルに改造し、音域を拡大して、8’の弦1組を追加した。一段鍵盤のチェンバロを二段鍵盤に改造することもあった。こうした改造の動きは、フランスばかりではなく、ドイツやイギリスにも広がって行ったが、このように手の込んだ改造を厭わず実施したのは、ルッカースのチェンバロが楽器として極めて優れていたからである。
 ルッカースのチェンバロの改造は、響板や響板部分のケースをそのまま使う「プティ・ラヴァルマン」(小改造)と、楽器全体を解体して組み立て直す大がかりな改造――「グラン・ラヴァルマン」(大改造)――に大別される。17世紀の末ないし18世紀の初めまでは前者がほとんどであったが、それでは音域が間に合わず、しかも大型の楽器の豊かな響きが要求された18世紀には、後者が主流となるのである(→本書第7章)。
 Dのモデルとなったヨハネス・ルッカースのチェンバロは、典型的なプティ・ラヴァルマンを施された楽器である。

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