横浜みなとみらいホール・小ホール レクチャーコンサートシリーズ
「ピアノの歴史」(全8回)

第2期

キー・ノート・レクチャー「ピアノの歴史を考えるII」

第5回:シューベルトの2つのまなざし
日時
2007年6月9日(土)午後4時〜8時
キー・ノート・レクチャー(午後4時〜5時)と
第5回:シューベルトの2つのまなざしとの間には1時間の休憩時間があります。
キー・ノート・レクチャー  「ピアノの歴史を考えるII」
― 技術革新と音楽 ―
講師
渡邊順生
 1820年代以降、「ピアノの大型化」は加速度的に進行して行きます。その原動力となったのは、1822年にパリのエラールが特許を取った「ダブル・エスケープメント・アクション」(今日のピアノのアクション)と、大きくなった弦の張力に耐えるための鉄骨あるいは鋳鉄フレームの採用でした。ピアノ演奏の「場」がサロンから劇場に移ったことも、それに拍車をかけます。ここでは、技術革新の時代における楽器と演奏スタイルの変遷について考えます。
第5回:シューベルトの2つのまなざし
講師
村田千尋(東京音楽大学助教授)
演奏
伊藤深雪(フォルテピアノ独奏及びピアノ・デュオ)
崎川晶子(ピアノ・デュオのみ)、松堂久美恵(ソプラノ)
使用楽器
−クリストファー・クラーク作(フランス、2007)
 ・・・コンラート・グラーフ(ウィーン、1826/7)のレプリカ
音域CC-f4(78鍵)/二重弦CC-EE・三重弦FF-f4
アクション=プレルツンゲンメヒャーニク(ウィーン式アクション)
ペダル4=ダンパー/モデラート/ファゴット/ウナ・コルダ
楽器運搬調律
池末 隆
□内容
 今日、ピアノ音楽の中では、独奏曲と協奏曲が最も広く親しまれていますが、四手連弾を含む小規模な室内楽や歌曲伴奏などもピアノにとっての重要な領域であり、シューベルトほどそのことを痛感させてくれる作曲家は他にいないでしょう。この回では、シューベルトがピアノとの関わりにおいて「独奏曲・連弾曲・歌曲伴奏」を3つの柱としたことを踏まえながら、サロン音楽家として出発した若きシューベルトが大作曲家へ成長して行く過程を辿ります。
□グラーフのピアノについて
 ウィーンにおけるピアノ製作において、最初に、圧倒的な名声を得たのはアントン・ヴァルターであった。システムの創始者はアウクスブルクのシュタインだが、ヴァルターは1781〜2年よりオルガン製作者のギルドの認可を得てピアノ製作を開始し、84年に工房を開いたホフマンに2〜3年先んじた。しかしヴァルターの名声は5オクターヴのタイプに限られており、ピアノが大型化していく過程で急激に存在感が薄くなる。シュタインの娘シュトライヒャーは94年にウィーンに移住。その出自もプラスに働いて急速に名声を拡大し、1810年代に6オクターヴのピアノが定着する頃には、ウィーンのトップ・メーカーとして不動の評価を確立する。同時代の他のメーカーでは、ブロートマン、フリッツ、ローゼンベルガーなどが目立った存在だ。シュトライヒャーは、1823年に、ダウン・ストライキング・アクションの特許を取得。このタイプのダイナミックな表現力が注目を浴びる。ちょうどその頃、名を挙げつつあったのがコンラート・グラーフ。グラーフは、おそらくシュトライヒャーの薦めでベートーヴェンのための四重弦のピアノを製作(1825年)。1830年頃には押しも押されもせぬ第一級のメーカーとしての地位を確立していた。しかし、彼の名声も一代限りで、1840年には引退。その後はベーゼンドルファーが取って代わった。
□演奏曲目
軍隊行進曲D733,1(四手連弾)
幻想曲ヘ短調D940(四手連弾)
即興曲変ロ長調D935,3
ピアノ・ソナタ変ロ長調D960〜第1楽章
歌曲「森にて」「若き尼」「臨終を告げる鐘」



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